『覚えある闇の中で』










 カシャン、ガシャン。


 先日の騒動で一時的に閉鎖されたその建物の薄暗い階段に、僕の足音だけが響く。
 階上の清潔感のある研究室とは打って変わって誰の記憶からも忘れ去られたような、廃墟の様相。地階に下りるこの階段の存在さえ職員たちの目に留まってはいないのではないかと思ってしまうような、荒れ果てた空間。
 南京錠の付けられた鉄格子、緩やかにカーブした廊下の先を飲み込む暗闇。


 カシャン、カシャン、ガシャン。


 忍び込んだ部屋。烈しい炎に焼け焦げたあと。
 足元には動物の欠け落ちた頭蓋、バラバラに散乱する金属のプレート。かつては僕と同じように動き回っていたモノ。
 僕と同じであった存在。
 魂の抜けてしまったかつては‘器’であったモノ。


 僕も、こうなってしまうのだろうか?
 この砂時計が砂を吐き切ってしまったなら、僕もこんなふうに、ただのモノになって朽ち果てて。




 カシャン。




 そして僕は‘扉’を呼び覚ます。
 壁に大きく描かれた陣に掌を当てて、発動させる。
 陣から光が生まれ出て、渦を巻いて辺りを照らす。
 音もなく現れる扉、霧のような、白い、闇。







 白い、しろい・・・・・・・・・覚えのある、闇。












『やぁ、久しぶりだね錬金術師』
「ああ、久しぶり」
『こんなところへ何をしに?まさか世間話じゃぁないとは思うけど』
「そりゃぁ、そうでしょう?返して貰いに来た。僕の、身体を・・・・・・ね」
 クスクスと笑う声がして、目の前の白い、靄のような闇が揺らぐ。

 揺らいで・・・・・・それは人の形を形成する。




 僕が失った、僕の、生身の身体を・・・・・・。








 僕の顔をしたそいつが・・・・・・‘真理’が、ニヤリと人を食った顔で笑う。
「ふぅん、その為にここへ?」
「そう。だってそれ以外、僕が君に何の用があるって言うのさ」
「だからさ、ほら。世間話とか」
 僕の生身の肉体に棲まう真理は、僕とまるで同じ口調で嘲笑うみたいに。
「それがご希望だったんだ?それは残念だったね、君の期待を裏切っちゃって」
 だけど僕は挑発には乗らない。感情的になればきっと、僕は・・・・・・負ける。
 こいつに負けて、そして今度こそすべてを捕られてしまう。

「なら・・・・・・通行料は、何にしようか?」

 来た。
「通行料?おかしなことを言うんだね。要らないだろう、そんなものは?ただ、君が外に出るだけなんだから」
「へぇ?面白いね。どうしてそう思う?」



「だってキミは・・・・・・‘ボク’だろう?」



 まるで、その言葉が合図だったかのように真っ白な闇が渦を巻く。

 僕の背後でごとりと大きな音がして、たった今まで僕の拠り代であった青銅色の鎧が支えを失ったように崩れ落ちる。
 むき出しの魂となった僕から、真理が棲む僕の生身の肉体から、青白い光の帯が惹かれあうように伸びる。
 ああ、これがきっと、兄さんの言った‘精神’・・・・・・。
 魂は肉体を求め、肉体は己の魂を欲する。在るべき姿に戻ろうとする。





 惹かれあう。求め合う。自分の一部を取戻そうとする。


 在るべき姿に戻ろうとする、求め合う。




 キチキチと音を立てて。







 しろい闇が渦を巻く。僕と真理と包み込むように白い闇がごうごうと渦を巻く雑音を響かせる。









 キチキチ、と、音を立てて。キチキチと音を立てて。






 ノイズが・・・・・・空間さえも歪ませる。キチキチと雑音を響かせる。







 僕と真理を包み込んだ渦を稲妻のようにノイズが走る。
 数式が、構築式が、モノクロームに明るく暗く点滅しながらザラリとした雑音を響かせる。




 動揺するな、ノイズに気をとられるな、自分を見失うな。


 真っ白い闇が口を開ける。舌なめずりしながら僕を呑みこむ機会をうかがう。







 キチキチと音を立ててキチキチと音を立ててキチキチと音を立てて。




 渦から無数の手が伸びる。細い細い、暗闇のような手が伸びる僕に向かって。


 キチキチと嗤うキチキチと嗤う無数の赤い目がキチキチ嗤って獲物を狙う。







 キチキチキチキチキチキチキチ・・・・・・・・・



 思念体である僕がぼんやりと光ってヒトの形を成しているのがわかる。
 青白くゆっくりと点滅する。




 キチキチキチキチキチキチキチキチキチキチキチキチキチ・・・・・・・・・・


 ノイズは幾重にも幾重にも渦を巻いて空間を歪ませて渦を巻いて。

 数百数千の血のような赤い目は僕を凝視しキチキチと耳障りな嗤い声を立てて無数の手を伸ばして僕を捕らえようとして絡み付いて。





 魂さえも捕らえようと絡み付いて・・・・・・。


 キチキチと嗤うキチキチと嗤う。




 気をとられるな動揺するな。
 僕は帰るんだ僕は帰るんだ僕の肉体を取戻して兄さんのところへ。



 真理が、ニヤリ、と嗤う。





 渦を巻くノイズの中に、次々と小さく切り取られた映像が浮かび上がる。
 星の誕生、生命の誕生、崩壊と構築数多の生命。
 世界の記憶。この世界の過去の記憶未来の記憶。情報の洪水。

 TELE-VISION?

           DIDITAL?

                     ATOMIC WEAPONS?


 聞き覚えのない言葉、どの文献にも記載のない言葉。この星の未来の記憶・・・・・・?


 映像として浮かび上がっては‘0’と‘1’に置き換わる。すべてが0と1に変換されて銀色の帯となり僕の魂に流れ込む。
 おびただしい数の銀色の帯が僕に絡み付いていた黒い腕を振り払い流れ込む。






 ―――――帰るよ。兄さん、あなたのところへ。




00101001011110000110101011100001011000010011・・・・・・・・・・・・・・


 僕の中に流れ込んでそれらは構築式に変わる。錬金術師である僕の中に構築式として蓄積される。

 僕から発する光がはっきりとした色彩に変わる。実体を持とうとする。





 ―――――帰るんだ、僕は。



      011111001010000111001101000011110101011000111000100010001101010101111111000010101111110010110・・・・・・・・・・・・・





 情報が流れ込む僕に情報が流れ込むとめどなく流れ込む。此の世の理、すべての組成、この星の記憶過去の記憶未来の記憶細い絹糸のように縒り紡がれて流れ込む。総て総て総て!!




                     1101110000100111010100010010011011101010101011111100101000010010000101011110101011011110100100101010001000001000001110110101011101001001010111101010101110100010010010000101001001111101010010101001010010110100101010101・・・・・・・・・・・・・







 そうだ、もっと・・・・・・もっと、僕を満たせよ・・・・・・・・・・・。


 溢れかえる知識が僕を満たすその快感に酩酊する。




 僕は、真理に嗤い返す。思念体の半透明の身体でまったく同じ表情で。
 僕らは同じ顔で嗤う嗤ったまま睨み合う。





「面白い。まったく面白いな、君は」
 真理が嗤う。声高く嗤う。わらいごえを響かせる。





 キチキチと、音を立てて。






 僕の姿をした真理が分解を始める。キチキチと音を立てて流れ出す。




 僕に向けて流れ出す。デジタルに変換されて。








 ―――――取戻して帰るよ、兄さん。あなたの元に帰るよ。










 真理が指先から分解されてゆく。
 僕の指先が再構築を始める。



 キチキチと音を立ててキチキチと音を立てて。




 僕の身体が再構築を始める真理から肉体が分解されてゆく。

 キチキチと音を立ててキチキチと音を立ててキチキチと音を立てて。

 指先が冷たく感じる細胞が息を吹き返す体細胞がざわめく。
 渦を巻く闇が膚をなぶる風のように膚を嬲る髪の先を吹き上げる。
 拳を握り締める掌に指先が食い込む真理を真似て口の端で嗤う表情筋が収縮する。




 真理の姿が実体を失う闇に溶け込む白いしろい闇に溶けてぼうっとした影になる。






 僕は大きく息を吸う、肺が酸素を取り込む心肺に送り込まれる。

 脈動を開始する熱い血が全身を駆け巡る。
 生命の脈動が始まる生命の脈動を僕に教える僕の身体が!!!!






「あはははははははははは!!」
 真理が笑う高らかに笑う。愉快そうに高らかに哂う。
「愉しかったよ、錬金術師。そのクソ度胸に免じて返してやろう、キミの身体」
 奴の言葉を聞きながら、僕は身体に不具合がないかを気取られないように確認する。
「ああ、確かに返してもらったよ」
 ここはまだ、真理の手の中。
 そして、ホムンクルスたちのテリトリー。
 まだ、気は抜けない。
 何時だって油断は命取りになる。
「その身体には、総ての理が刻まれている・・・・・・使いようによっては、キミは、世界の王にも神にもなれる」
 唆すように咽喉で、闇に溶けて真理が哂う。
「その左手には此の世のすべての闇が握られている。右手には光。何もかもが君の手の中にあるキミは神にもなれる。・・・・・・・・・この世界に、何を望む?キミの望みは何だ?なぁ、錬金術師?」
 ニヤニヤと嗤っている、無数の赤い目たちも。
「僕の望みが何かって?そんなの・・・・・・決まっているじゃないか」
「ふぅん?言ってごらんよ」
 僕も嗤う。答えなくても解っているんじゃないのかい?
「‘愛する人との幸せな生活’それ以外に何があるって?」
 真理が笑う高らかに嗤う。闇に溶けて笑うしろい闇が笑う。
「はははははは!!酷い欲張りだな、本当に面白い奴だよキミは!」
「キミこそ面白いことを言うね。欲張り?僕は、キミなんだろう?」
 周囲の気配に神経を行き渡らせる。闇の外に人の声がする。
「ああ、本当に楽しかった。また来いよ、錬金術師」
 渦を巻いていた闇が、薄れ始める。ゆっくりと霧散し始める。
「いや、遠慮しておくよ」

 扉に吸い込まれてゆく。白い闇が吸い込まれてゆく。
 活動写真を逆回しで見るように闇も無数の黒い人影も真理の嗤い声すらも総てすべて扉の向こうへと吸い込まれる還ってゆく。




 扉の隙間からこちらを覗く巨大な目が眇められてニタリと哂う。


 ギィと、音を立てて扉が閉まる。
 僕の目の前から真理の扉が消滅する。






 空間が、もとの荒れ果てた部屋へと姿を戻す。
 張り詰めていた精神が安堵に途切れて、僕はその場にへたり込んだ。









「こ・・・・・・んの馬鹿アルっっ!!」
 怒声と一緒に、ゲンコツが頭上から降ってくる。
「ぃつ・・・っ!!!・・・・・・痛いよ、兄さん」
 僕に射した影をたどり見上げると其処にはやはり拳を握り締めた兄さんが立っていた。
「左手だっただけ有難いと思え」
 怒ってる。兄さんが物凄く怒っている。
 僕を見下ろしてきつくきつく睨みつけて。
「うん。・・・・・・ごめん、兄さん」
 解ってる。
 僕が一人でここへ来たから。危険だって解っていてここへ一人で来たから。
 下手をすれば総てを失うって、わかっていて一人で来たから。
 僕はゆっくりと立ち上がって、兄さんの手を握った。
「ごめん。ごめんね」
 兄さんは怒った顔で。涙なんか出ていないけど、でも、僕には泣いているように見えた。
 そっと、手を離してその腕を辿って、僕は兄さんを抱きしめる。
 腕の中の身体は、目で見ただけではわからないくらい小刻みに震えて。
「もう、勝手に無茶はしないから」
 解ってる、だけど、ね。
 危険だって解っていたから僕は一人でここに来た。
 兄さんが巻き込まれてしまうことだけはどうしても避けたかった。
 ねえ、兄さんにもわかるでしょう?本当は解っているでしょう?
 国家資格を取ろうかなって言った僕に、ヒューズさんの奥さんのところに一緒に行こうとした僕に、嫌われるのは罵られるのは自分ひとりで充分だって言っていつでも僕を守ろうとしてくれる兄さんには、解るよね?

 兄さんが怒るのも解るけど。逆の立場だったら僕も絶対怒るけど。
 でもいつだって僕には兄さんが大切だから・・・・・・。


 兄さんの腕が僕の背中に回る。
 取戻した身体は兄さんよりほんの少し肩の位置が高い。
 ぎゅっとしがみついてくる兄さんの温かな身体を深くふかく抱きこんで。




 ひどい欲張りだと嗤った真理の声が耳に返る。
 ああ、その通りだよ。愛する人と・・・・・・兄さんと幸せに暮らす為にはまだまだやらなきゃならないことが山ほどある。

 ホムンクルスたちはこれからも僕らを狙うだろうし、戦争や内乱の絶えない世の中は僕たちにとって大切な人々を常に脅かしている。
 大切な人たちが幸せになってくれないと、僕たちも、特に兄さんが安心して幸せにはなれないから。
 たった一つの望みを叶える為に、全ての問題を解決しなくてはならないね。
 僕らにとって大切な誰かの苦しみが、そのまま兄さんの苦しみになる。大切なものを何一つ捨てることの出来ないあなたの苦しみになる。
 それは身に過ぎた願いかもしれない。途方もない祈りかもしれない。

 でも、僕はあなたを幸せにしたい。

 何が出来るのか、どこまで出来るのかはわからない。
 でも、この身体が・・・・・・総てが刻まれているというこの身体が、知り得た知識があなたを助ける力になるなら。




 此の世の王にも神の力なんかにも興味はない。
 でも、この身体があなたの力になるなら、僕は・・・・・・・・・・・・・。






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