『 あなたが笑う明日のために 』
僕たちは互いを固く抱きしめあっていたけれど、もっとずっと、この感触を味わっていたかったかけれど。
何時までもここにいるわけにはいかない。頭で理解はしていても名残惜しくて離しがたくて・・・・・・。
キスしたかった。たまらなくキスしたかった。
兄さんの頬に、唇でそっと触れる。
柔らかな感触があまくて、くちびるが甘くしびれてキスしたくて。
丸い頬をたどって唇に触れようとしたそのとき・・・・・・。
僕の背中で、盛大な咳払いが聞こえた。
「感動的な兄弟の再会シーンに水を差すようで悪いが」
まったく、迂闊だった。
腕の中の兄さんがあまりにも心地良くて、つい、失念していた。
あの時感じた気配は5つ。
つまり、兄さんのほかにあと4人、この場に居るということだ。
「とりあえず・・・・・・鋼の・・・、その上着を弟に貸してやったらどうだ?」
!!!!!!!!!!!!!!!!!!
まったく・・・・・・まったく迂闊だ・・・・・・・・・・。
たった今、真理から取戻したばかりの身体。
5年ほども前になるあの日扉の向こうにすべてを引きずり込まれ、兄さんの手で魂をあの鎧に定着されて。
僕が居た位置には持ち主を失い放り出された、靴と洋服。
そうだ・・・・・・僕は今・・・・・・・・・。
凍りつく僕からガバッと身を離した兄さんが、ばたばたとものすごい勢いでトレードマークとも言える赤いコートから腕を抜く。バサリと大きく音を立てて僕の背に着せ掛ける。
「見るんじゃねぇぇぇぇっ!!!」
兄さんが、真っ赤な顔で吠えている。
きっと僕は今、兄さんとは対照的に真っ青だ。
落ち着け。そう、落ち着け。
ゆっくりと深呼吸。スー、ハー、スー、ハー・・・・・・。
僕は恐る恐る背後を盗み見る。
眉間を白い手袋の指先で押さえたマスタング大佐。
野郎の尻なんぞ見たくねぇ、と鼻面にしわを寄せるブレダ少尉。
困ったような顔で苦笑を浮かべたフュリー曹長。
口元に微笑を張り付かせて視線を逸らしている・・・・・・ホークアイ中尉。
見られ・・・た・・・・・・・・・中尉にまで・・・・・・・・・・・・・?
「は・・・はははは・・・・・・」
なんだかもう、笑うしかない気がする。
後ろからとはいえ、女性の前でハダカを晒して・・・・・・。
まだ子供と言える年齢であることを喜ぶべきか?
けれど思春期のオトコゴコロは複雑だ。どうリアクションをとればいい?
「とにかくここは危険だ。二人とも急げ。外に出るぞ」
つい先刻まで僕であった鎧も持ち出すように大佐が皆に指示を出す。僕らがここにいた痕跡はなるべく残さないほうがいいと。
女性である中尉に重い鎧を持たせるのもどうかと手伝おうとしたら、大佐に、いいからコートの前をしっかり合わせていろと斬り捨てられた。
ああもう・・・・・・穴があったら入りたい。
元に戻った後の服装にまでどうして気が回らなかったんだろう。
ちょっと考えれば解りそうなものなのに。
思考はグルグルと回り入り乱れてとてもじゃないけど平常心が保てない。まったく僕は修行が足りない後悔先に立たずとはこのことだ違う違うダメだ思考が混乱している。
静かに取り乱している僕を大人の手がグズグズするなと外に停めてあった自動車にポイと放り込んだ。
場所が変われば気分も変わるものなのか。すし詰めの車の中で密着した兄さんの、遠い思い出そのままの温もりのおかげか、ようやく少し、僕は落ち着きを取戻す。
兄さんの顔を盗み見ようとした。
その気配に気付いたのか兄さんもこちらを向こうとして、鼻先が擦れあった。
可笑しくて嬉しくてくすくすと笑った。
暗い車内でそっと手をつないで、二人でくすくすと笑った。
大人たちが、子供を見る目で優しい顔をして静かに笑んだ。
子供とはいえ、否、子供だからこそこんな夜更けに素肌にコートでは何か事件かと憲兵に通報されかねないと、ホテルの部屋まで送り届けられる。
案の定フロントで何事かと尋ねられたけれど、ホークアイ中尉が問題は片付いているので心配ないと答えてくれて、無駄に騒ぎを起こさずにすんだ。
鎧の搬入が終わって狭苦しくなった部屋。
「とりあえず、だ。アルフォンス、君には身につけるもの一式が必要だろう」
大佐の言葉を受けて、中尉が明日の朝一番に用意して届けると答える。流石は腹心の部下もしくは秘書といった感じの手馴れたやり取りにちょっと感動を覚える。
「え、いいよ!アルの服なら俺がカッコいいの選んでやっから」
―――――避けたい、それだけは。
「中尉・・・・・・よろしくお願いします」
「なんでだよ!」
兄さんが僕に向かって吠える。とても不服そうだけど、ちょっとこれは譲れない。
なにしろ兄さんのセンスはあまりにもデンジャラスだ。
「兄さんには、話したりしたいことがいろいろとあるから」
笑顔で、兄さんを黙らせる。
僕の笑顔が見たいと言ってくれていた兄さんにやっぱりこの手は有効で、拗ねたような顔で唇を尖らせている。でも、ちょっと嬉しそうにも見えるのだけど。
明日また改めて話が聞きたいと、大佐がこの騒動に幕を引く。
「今日は疲れただろう、ゆっくりと休むといい」
そう言って退室しようとする大佐がわき腹を押さえているのが、目に付いた。
「・・・・・・大佐、そこ・・・あのときの傷じゃないですか?」
「・・・・・・・・・ああ」
「大体、入院中じゃなかったんですか?良いんですか、もう退院しちゃって?」
ホークアイ中尉が溜息をついている。
「このぐらいの怪我、なんては事ない・・・・・・・・・が、今これが痛むのは、ソイツが暴れたからだ」
目を据わらせてまっすぐに指差したのは、兄さんの顔。
「オートメイルで殴られたぞ」
すぐには話がつかめずにあっけに取られた僕に、中尉が説明をしてくれる。
「あの部屋に入ったとき、空気の渦のようなものの向こうにアルフォンス君が居るって言って、エドワード君が飛び込もうとしたのよ。それを4人がかりで押さえ込んで止めて」
相当に暴れたのだろう。よく見ればその手元、白いシャツにはうっすらと血が滲んでいる。
「大佐、ちょっとそれ、脱いでください」
ドクター・マルコーは身元を偽り、田舎町の医者として錬金術を医療として用いていた。
東のシン国では練丹術と呼んで、主に医術として使われているのだという。
真理から取戻した肉体、すべての理が刻まれた身体。
真理の言葉が本当であれば、この身体には容易いことであるはずだ。
晒された傷跡。焼いて塞いだという言葉通りの痛々しいケロイド。
両の手を合わせて僕の中に円を描く構築式を呼び覚ます。
見慣れた練成光。掌で傷口を覆う大佐の眉が痛みに寄せられる口から小さな呻きが漏れる。
僕の手から光が生まれる。いつもの練成光とは違う輝き、僕の右手が握る、此の世のすべての光・・・・・・?
もの凄いスピードで。
炭化して死んだ細胞が生きたたんぱく質に創り換えられる。新しい生きた細胞に練成される再構築される。
その変化がイメージが、掌を通して僕の中に映像として記録される。
背中まで突き抜けた傷跡焼け爛れた表皮。それらすべてが生まれ変わる細胞が分裂を代謝を始める。
光の粒子が部屋中を照らし弾けて静かに霧散する。
電灯の明るさだけを残して光が納まった後、僕の掌より大きく広がっていたケロイドは真新しい健康な皮膚に置き換わっていた。
誰もが息を呑んで静まり返った部屋。
「どこかおかしな感じはありませんか?」
問いかけると、大佐が信じられないものを見る目を僕に向ける。肩をぐっと掴まれる。
「これは・・・どういうことだ?いや、そんなことより・・・・・・!頼む・・・・・・・・・」
助けて欲しい男がいる、と、苦しそうに呟く。
縋るような黒い瞳、必死な目の色。見回したほかの大人たちも同じ視線を僕に向けて。
僕は、ここにはいない人の顔を思い浮かべる。
咥え煙草がトレードマークの・・・・・・。
「明日の朝、迎えをよこす。すべてはそれからだ・・・・・・今夜はとにかく身体を休めておいてくれ」
この間のホムンクルスとの戦いで、ひどい怪我を負ったのは知っている。でも、見舞いに行ったときにはいつものように笑っていた。
僕が知っている以上に怪我の具合が悪いのか?
どうして・・・・・・どうして僕の周りの人たちは、自分が辛いときに、それを隠して笑うんだ・・・・・・。どうして、心配かけまいとして、笑って見せるんだ。
「なんで・・・・・・そんなに悪いのなら、なんで教えてくれなかったんです?僕が子供だから?ヒューズさんの時といい・・・・・・僕たちだって当事者だ。知る権利がある・・・・・・いや、知らなきゃいけないんだ。なのにどうして、平気な顔して見せるんだ。子ども扱いはやめてください!」
叫びだしたい激情を拳で握りつぶして、奥歯をかみ締めて咽喉を塞いで。
悔しくて・・・・・・まだ、十五歳にも満たない子供の自分が悔しくて。
守れるようになりたいって、強くなりたいって、心に決めた。兄さんと誓った。
でも、端から見れば僕らは子供だ。
親の庇護下にあるであろう年齢だ。
悔しくて、早く大人になりたくて。誰からも一人前に見られる大人になりたくて。
「だから君に頼むと言っている!君の力に頼るしかないんだ!私だって、この手で治してやれるものならそうしたい。だが、出来ないんだ。私には奴を助けてはやれないんだ大人だといったって無力なんだ・・・・・・この悔しさが、君に、解るか?」
僕をにらみつける黒曜の瞳が苦しそうに歪んで、僕は怒気を挫かれる。
「大体、それを聞かされたのは君と曹長が病室を出た後だ。連絡しなかったのは、奴がそれを望まなかったからだ。君を子ども扱いしてのことじゃない。あいつだって、悔しいんだ」
とにかく今夜は、と、大佐が続けた。
「近頃また、傷の男がセントラル近辺に出没していると情報が入った。国家錬金術師が何人も被害にあっている。何時また戦いになるかわからないからな、休めるときに休んでおけ。第一、鋼のは長旅から戻ったばかり、アルフォンス、君は生身の身体を取戻した直後だ。昨日までとは勝手が違う。今、調整をしておかなくてどうする?明日から作戦会議と情報収集だ・・・・・・忙しくなるぞ」
それだけ言い置いて、大佐が着衣を整える。僕らに背を向け扉へ向かう。
「じゃぁ、エドワード君、アルフォンス君、明日、10時半には迎えに来ます。朝食も用意したほうがいいかしら?その格好じゃ食堂には降りられないでしょう?」
「あぁ、食事のことならご心配なく、ウィンリィに頼みます。兄さんは一人で外に出ないほうが良いでしょう?」
傷の男が出没したというのなら。
そうね、お腹が空いてしまって待てないわねと微かに笑って、中尉が最後に扉へ向かう。
「おやすみなさい、二人とも。いい夢を」
穏やかな笑顔を残して、扉が閉まる。
僕らが本当に子供だった頃、まだ母さんが生きていたあの頃。
僕らがまだ、ただただ幸せだったあの頃。
ベッドに入るといつも母さんがくれた言葉。
「おやすみなさい、いい夢を」
優しい手で僕たちの髪を撫でながら。
僕と兄さんは顔を見合わせる。
同じ気持ちだとその顔に書いてある。
ああ、本当に・・・・・・。
僕たちにはこの人たちが大切で。みんなに幸せであって欲しくて。
だから僕らは力を求める。
だから僕は力を求める。
僕たちにとって大切な人たちが幸せに笑う未来のために。
そしてその先にある、兄さん、あなたが幸せに笑える未来のために。
あなたと二人で笑いながら迎える、僕らの幸せな未来のために・・・・・・。
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