『 New Year's Night 』







 高い天井から下がる豪奢なシャンデリア。広いホールに響く流行の音楽。
 男も女もきらびやかにドレスアップして、踊り、歓談し、美味い料理や酒を楽しんでいる。
‘New Year's Party’
 イーストシティで毎年行なわれている、新年を祝う集まり。12月31日の晩から1月1日の朝まで続くパーティー。小さな内乱や隣国とのせめぎ合いがだらだらと続く世の中で、せめて新年を明るく祝おうと代々の市長が主催して行っている催し。
 その賑やかしい空間の片隅で、俺はゆったりとした一人掛けのソファーに半分埋もれていた。
 俺たちと一緒に招待されていたウィンリィは、風邪をこじらせて出てこられなかった。
 ソファーに埋もれながら、アルフォンスの持ってきたブランデーを氷で薄めて舐めるように飲んでいた。視線は、立食のテーブル脇で女の子たちと楽しそうに話をしている弟の姿を追ったまま。
 生身の身体を取戻してもう数年が経つ。思っていた以上に逞しく男らしく成長したアルフォンスは女の子たちの視線を釘付けにし、男たちの羨望を一身に集めた。
 自分の容貌に自信のある娘たちは次々とアルフォンスに話しかけ気を惹こうと、微笑みながら他の娘たちと水面下で冷たい攻防を繰り広げる。
 その勇気を持たない女の子たちは遠巻きに、その姿を眺めている。諦めと妬みを含んだもの欲しそうな顔で。
 ああ、きっと俺も今、彼女たちと同じ顔で弟を見詰めているのだろう。
 いや、違う。
 誰よりも一番、嫉妬に歪んだ、醜い顔で・・・・・・。



 来なければよかった。
 来る気なんかなかった、本当は。
 もう、だいぶ前から、アルフォンスは夜半に一人で出かけていくことが多くなった。
 まるっきり朝になることはないけれども、夜遅く、日付がすっかり変わってしまってから帰ってくる。
 時に、香水の移り香を漂わせて。
 それは毎回違う香りだったりもするけれど、そんなものなのかもしれないと思った。
 このパーティーで、恋人を紹介するつもりなのかもしれないと、思った。
 来たくなんかなかった。
 どんな女の子がアルの心を射止めたのかは気になったけれど、でも、会いたくなんかなかった。
 恋人を紹介されたくなんかなかった。
 来るのが、怖かった。
 だけど昨日の夕方、外出から戻ったアルフォンスが大きな箱をいくつも抱えて。
 中から出てきたのは今着ているタキシード。頭のてっぺんからつま先まで、今、身に付けているものすべてが箱の中に収められていて。
『プレゼントだよ』と、アルフォンスが笑うから。
 早速着せられて、困惑する俺に『とても似合う』と、嬉しそうに笑うから。
『これを着て、パーティーに行こうね』と、アルフォンスが笑うから。
 そんなふうに笑ってくれるのなら、行ってもいいと思ってしまった。
 お前の笑顔を独り占めできるような気がしてしまったんだ。



 そんなわけ、ないのに。



 どうしてお前なんだろう。
 どうしてお前じゃなきゃダメなんだろう。
 解っていたことなのに。
 あの頃からお前は『恋がしたい』と言って『彼女が欲しい』と言って。
 解っていたことじゃないか。
 好きになっても無駄なんだって。
 当たり前じゃないか、お前は、俺の弟なんだから。
 男同士なんだから。
 血のつながった兄弟なんだから。
 実る恋じゃないことくらい、重々承知していた筈だろう?
 なのにどうして恋する心を止められないんだろう、叶うはずもないのに。



 なぁ、愚か者。
 エドワード・エルリック。



 苦く笑って、グラスの中身をぐい、と干した。
 酔ってしまえば、切なさがごまかせるような気がした。
 酩酊してしまえば、すべてが現実から切り離される気が、した。





「よ、久しぶり」
 ぽん、と軽く肩を叩いて隣のソファーに腰掛けた男が居た。
 茶色い巻き毛、縁の細い眼鏡の奥に覗くこげ茶の瞳。
 頭の中がぼんやりとして、この顔が誰だかすぐに思い出せない。しばらく頭の中を検索して、一番近いと思った人物の名を挙げてみた。
「・・・・・・ピット?」
「やっと判ったか」
 眉間にしわを寄せてすらりと伸びた脚を組むのを眺める。
「だって、お前、なんか大きくなってるし」
「当たり前だろう。あれから何年経ってると思ってんだ」
 結局170cmにわずかに届かなかった俺よりも、10cmは高いようだ。身長を訊かれたけれど答えははぐらかした。
 しかも、子供の頃のガキ大将的な顔つきはすっかりと影を潜め、知的な紳士といった風貌になっている。そばかすだらけだったということは、それだけ色が白いということでその白い肌がインテリっぽさに拍車を掛けている。
 なんだか、悔しいよりも可笑しくて。何よりも古い友人との再会が嬉しくて。
 沈みこんでいた気持ちが、少し、浮上した。
「一人か?弟と、ウィンリィはどうした。来てないのか?」
「ウィンリィは風邪をこじらして寝込んでる。アルはほら、あそこ」
 俺はついさっきまで視線を向けていた先を指先で示した。アルフォンスは相変わらず女の子たちに囲まれて笑顔を見せている。
「あれ、アルフォンスか?・・・そうか」
 何かを納得するような顔で、また、何かを言いかけてやめたような顔で、ピットが呟いた。
 あの頃、アルの鎧姿についても深く尋ねずに居てくれた友人は、元に戻った姿を見ても深く追求しないでくれている。
 それが俺には有難かった。昔も、今も。
 なんだか、懐かしいような気持ちになった。
「それ、今でも伊達眼鏡なのか?」
「いや。散々勉強して本当に目が悪くなった。ちゃんと度が入ってるよ」
「ふぅん・・・・・・。なぁ、ピット。お前、医者にはなれたのか?」
 アルと二人、元の身体に戻る旅をはじめて1年ほど経ったあの頃。故郷を離れて再会したこいつは、医者を志して、大人たちの信頼を得ようと、頑張っていて。
 俺たちが賢者の石を探して、覚悟と決意を支えにして国中を回っていたあの頃。
 同じように、子供の時間を捨てて、早く、1日でも早く一人前になろうとピットは背伸びをしながらも頑張っていて。
 その努力はきちんと報われたかな。
「ああ、おかげさまでな。資格を取って、今はここの市民病院で雇われてる。金が溜まったらどこかに診療所でも開くさ」
 静かな、けれど余裕たっぷりに笑う姿が年月の経過を如実に物語っている。
 俺たちがもう、子供ではないのだと言うことを教えている。
「リゼンブールにしろよ。あそこには内科の医者が居ない」
「ああ、ロックベルさんとこ、外科はいけるんだっけか。そうだな」
 考えを廻らせているピットを見ながらぼんやりと思った。
 ピットは、ウィンリィと一緒に診療所をやると良いと思った。
 ウィンリィは腕の良い機械鎧技師だが、同時に凄腕の外科医でもある。ピナコばっちゃんに付いて手術の際も助手として働いていた幼馴染もまた、数年前に資格を取っている。
 思ったままを口にすると、ピットは苦笑を浮かべた。
「ああ、理想だな」
 まるで叶わないことのように他人事めいて呟くのが格好つけているように見えて可笑しくて、俺は、笑った。
「エド、お前酔ってんだろ」
 笑い転げる俺を訝しげに見て、それからテーブルの上の空のグラスに目を移す。
「酔ってない」
「酔っ払いは誰でもそう言うさ。何飲んでたんだ?」
「ブランデー。ワインは悪酔いするからって、アルが」
「相変わらずお前んとこは弟が保護者か」
 ロックアイスの残るグラスを一瞥してピットが溜息混じりに言う。
「氷で薄めてこの有様か?お子ちゃまだな。何杯飲んだ」
「1杯。・・・・・・なんかピット、医者みてぇ」
「医者なんだよ。ちょっと待ってろ」
 ピットは立ち上がり、通りすがったウェイターに何かを告げる。手近なテーブルへ向かうと、皿の上にフルーツを盛り合わせて戻ってきた。
「飲み物はすぐに来るからとりあえずこれでも食ってろ。つーか、お前何も食べずに酒だけ飲んでたのか」
 アルが運んできてくれた料理は2口ほど手をつけただけで残してしまった。

 咽喉を通らない。
 アルが、ここに居ない。

「食欲がないのか?ほら、オレンジ食えよ。クエン酸はアルコールの分解をたすけてくれるしビタミンCは風邪の予防にもストレスにも良い」
「皮が付いてる」
 なんとなく見たままを口にした俺の言葉にピットは飲んでいた酒を慌てて飲み下し、それから豪快にむせ返った。
「どこのお姫様だお前は!!」
 咳き込み疲れて肩で息をするピットが可笑しくて、笑いが止まらない。
 なんだか凄く久しぶりだ、こんなに笑うのは。
 笑いすぎて、今度は俺が咳き込んでしまった。
 喘息を起こしたように息が浅くなる。
 ピットは俺の背を摩りながら、タイミングよく運ばれてきたグレープフルーツジュースにストローを注して口元に差し出した。
「ほら飲め。少しずつ、ゆっくりな」
 ああ、本当にコイツ医者なんだなあと、酸素の足りない頭でぼんやり考えながらストローを咥える。言われたとおりゆっくりと、その冷たくてさっぱりとした液体を飲み下す。
 熱を持った咽喉が、冷やされて気持ち良い。
「少し咽喉元を緩めておいたほうがいい」
 ようやく人心地付いた俺のタイを緩めようと、ピットが襟元に手を伸ばす。
 その神経質そうな細い指がネクタイに触れようとしたとき、突然、友人の座るソファーとはまったく逆の方向に身体を強く引かれた。
「兄さん」
 咎めるような、アルフォンスの声。
 何が起こったのかすぐに理解できなくて固まったままの俺の視線の先には、皮肉っぽいような、茶化したような口の端だけで笑うピットの顔。
「よう、‘honey dripper’。お前の噂はあちこちで聞いてるよ、派手に遊び歩いているらしいじゃないか」
 見上げれば、怒ったような、アルフォンスの顔。
「アル、ピットだ。覚えてるだろう?子供の頃、よく一緒に遊んだ」
‘ハニー・ドリッパー’・・・・・・どこかで訊いたことがある気がするけれど、どんな意味だったか思い出せない。
「久しぶり」
 まだ、硬い声。
 そんな敵意をこめたような声を視線を何故古い友人に向けるのかが解らない。昔は俺たちの後を何時だって付いてきたのに。ガキ大将だったピットに、アルはあんなに憬れていたのに。
 いろいろと考えようとするのに、この、まるで肩を抱き寄せられているかのような体勢が気になって思考がまとまらない。アルの体温が心地よくて何も考えられなくなる。
「兄さん、具合が悪いのならもう休んだほうがいい。ほら、立って」
 アルフォンスの声が催眠術のように俺を操る。促されるままに立ち上がる。
「ピット、兄さんが迷惑を掛けたね。じゃあ、失礼するよ」
「・・・・・・おい、エド」
 ふわふわと、肩を抱かれたまま退席しようとして呼び止められる。
「エド、お前、目的は叶えられたのか?」
 強い瞳が俺を見据える。
 目的、希望、願い・・・・・・何度も失望して挫けそうになって絶望しかけて。
 それでも何度でも立ち上がった俺たちの旅は終わった。
 アルフォンスの、生身の身体を取戻した。
 俺のせいで身体を失っていた弟に、ようやく。
「ああ。俺の望みは・・・・・・叶ったよ」
 それ以上を望むなんて、ばかげている。
 俺は静かに、笑みを返した。








 同じホテルの4階、取っていた部屋に俺たちは戻った。
 会場から部屋までの短い間アルフォンスはずっと俺の肩を抱いていて、俺は、その感触に酩酊した。
 こんな冷え込んだ冬の夜でも部屋は心地よく温められている。
 アルが背後からそっと、俺の上着を肩からはずす。
 俺が腕を下に伸ばす。袖はするりと抜かれ取り去られた。
 習慣になった動作。
 何時からかこんな、まるでエスコートするみたいな仕草をアルフォンスはするようになった。
 でも、何時だってそこに言葉はなく。
 華美ではないが重厚な造りのソファーに腰を下ろすように促され、俺はそれに従った。
 どこのお姫様だと先刻ピットに笑われたが、そうじゃない。
‘人形’だ。
 まるで人形遊びをするように着せ替えて俺を飾って、俺を取り巻く環境を綺麗に整えて。
 そうしてドールハウスのような部屋に俺を飾ってアルは眺めている。

「兄さん、具合が悪かったのならちゃんと僕に言ってくれないとダメだよ。だいぶ咳き込んでいたけど今はどう?つらくない?熱は?」
 俺の額を大きな掌が覆う。体温を測るように額と、頬に触れてゆく。
「笑い過ぎただけだ。身体は別になんともない」
「ん、でも、少し熱いみたいだね。部屋でゆっくりしていたほうがいい。待ってて、今、飲み物を用意するから」
 そういって立ち上がり、アルフォンスは部屋の隅に置かれた小さな冷蔵庫へ向かった。

 こんなふうに甘やかしてまるで大切にされているように、俺に錯覚をさせて。
 アルフォンスが、人形のように俺を扱いたいというのなら、俺にはまったく異存はなくて。

 コトリと小さく音を立ててグラスと水差しが置かれる。
 レモンを落としたグラスに水がたっぷりと注がれる。
 それをじっと眺めていたら、アルフォンスの手が、今度は俺の咽喉元に伸びてきた。
 長い指がネクタイを解く。
 アルが買ってくれた上質なシルクのそれが、するりと引き抜かれる。
 ウイングカラーのワイシャツのボタンを上から3つ、丁寧な動作で外し、俺の襟元をゆったりと寛げた。
 指先が、躊躇うように空を泳いで、ゆっくりと遠ざかってゆく。

 ふれてくれればいいのに・・・・・・。

 見上げたアルフォンスの顔は何かを堪えるように眉根が寄せられていて、つい、と俺から目を離して立ち上がる。
「・・・・・・兄さん、僕はちょっと出かけてくるけど、誰が来ても絶対ドアを開けたらいけないよ。兄さんはここで、ゆっくり休んでいて。いいね?」

 ああ、また、行ってしまう。

 外から、鍵を掛ける音が響く。
 あと3時間もすれば新しい年を迎える鐘が町中に鳴り響く。
 人々は口々に新年の挨拶を交わし、祝福の言葉を交わす。
 世界とは隔絶されたこの部屋で俺は誰からも忘れ去られて。


 俺は窓から街を見下ろした。
 ホテルのエントランスから、3〜4人の女の子たちと連れ立って出てきた金の髪。
「アルフォンス・・・・・・」
 ああ、そうだ思い出した・・・・・・。
 ピットが言っていた言葉。アルに呼びかけた言葉。
‘honey dripper’
 俗語だ。
 意味は・・・・・・‘イカせ屋’・・・・・・つまり‘女’を満足させる男。



 あの中に、アルの恋人が居るのかな。
 どの子がアルに選ばれるのかな。
 どんな風に触れて、どんな風に女を抱いて。
 その指は唇はその身体は、どんな快感を与え絶頂に導くのだろう。


 首筋を生身の左手でなぞり、開いた胸元に指を忍ばせる。
(アル・・・・・・触って・・・・・・・・・・)
 触れられたがる肌を自分の手で宥めて・・・・・・。


 窓の外、空は青白く照らされて。
 愚かな男を空っぽの月が照らし出して、嗤った。





・・・and to be contenued for『Honey Dripper』