『 ひびわれてかけおちて 』(2)













 胸が、痛ぇ・・・・・・。





 会いたい。アルに会いたい。
 会えないから。ここにはアルがいないから。この家にはアルが居ないから。
 出て行ってしまったから。俺を置いてアルフォンスは出て行ってしまったから。
 俺を置いて行ってしまったから。



 会いたいよ声が聞きたいよ。
 声が聞きたい。
 アルの声が聞きたい。






 ・・・・・・・・・連絡するって言った。
 落ち着いたら連絡をするって言った。
 電話がかかってくるのかな。
 電話ならいいな、声が聞ける。
 アルから電話がかかってきたら・・・・・・ちゃんと兄貴の声で笑って言うんだ‘元気にしてたか’って‘困ったことがあったら言えよ、たった二人の兄弟なんだから’って。
 好きだなんて言わないから困らせないから。だから嫌いにならないで俺にたくさん声を聞かせてお前の声をたくさん聞かせて。



 それとも手紙が来るのかな。アルが定住の地と決めた土地の、新しい住処の住所が書かれてくるのかな。
 新しい住所が書かれていたら、会いに行きたい。‘ちょっと旅行中でさ、近くまで来たから寄ってみたんだ’って言ってアルフォンスに会いに行こうか。




 凄く馬鹿なことを考えてるって解ってる。


 でも、会いたいんだ。
 アルに会いたいんだ。
 会いたいんだ。
 会いたいんだ。
 アルがいないとダメなんだ。
 寂しくて寂しくてたまらないんだ。
 会いたくて寂しくてアルが居ないとダメなんだ。
 寂しくて寂しくて胸が痛くてたまらないんだ。



 アルが居てくれないとダメなんだ。

 アルには、俺が居なくても、平気なのに。







 俺が居なくても、アルは・・・・・・平気なのに。寂しくなんか、ないの、に。
 だってアルは出て行った。俺をここに置いて一人で。
 旅に出て一人で大人になって。
 俺をここにおいて。
 だってアルは寂しくないから俺がいなくても寂しくないから。
 アルには俺が必要じゃないから俺が居なくても一人で大人になれるから。
 大人になるから。
 アルには俺が必要じゃないから。
 必要じゃ・・・・・・ないから。




 アルには・・・・・・・・・俺は要らない、から。







 俺はダメなのに。
 アルがいないと寂しくて寂しくて悲しくてダメなのに。
 寂しくて死んでしまいそうなのにダメなのに。



 何でこんなに女々しいんだろう。いつからこんなに女々しくなってしまったんだろう。
 もともとそうだったのかな。アルがいたからちゃんとしていられたのかな。
 アルがいたから歩いてこられたのかな。

 ・・・・・・・・・そう、なんだろうな・・・・・・・・・・・・・。

 だって今、アルがいなくて俺は立ち上がる気力もなくて下ばかりを向いていて。
 咽喉をふさがれたみたいに息もちゃんとできなくて酸素が足りなくてくらくらする。
 寂しくて悲しくて死んでしまいそうに苦しくて。


 アルが、居ないから。


 アルがいないから、寂しくて死んでしまうのかもしれない。
 死んでしまうのかもしれないだってこんなに胸が痛くて苦しくて寂しい。







 アルには、俺は要らないのに。









 ・・・・・・・・・ああ、でも。

 アルは連絡を寄越すと言った。
 落ち着いたら連絡を入れるといった。
 だったらアルは必ず俺に連絡をしてくれる。
 ウソはつかないから。
 アルはウソだけはつかないから。
 だから、待っていれば、必ず。







 いつ、かかって来るんだろう。
 明日かな。一週間後なのかな。たった今にでもかかってくるのかな。
 アル、アル、アル・・・・・・・・・声が聞きたい。
「アル・・・・・・」
 ほんの少しでも電話から離れたら、その間にかかってくる気がした。
 いつ、アルからの電話がかかってきてもすぐに出られるように、俺はずっと電話の前で過ごした。電話機を床に下ろしてその前で膝を抱えた。夜には同じ場所で毛布に包まり丸くなった。


 ずっとずっとアルからの電話を待ち続けて過ごした。


 うとうとした。電話が鳴ったと思った。飛び起きて手を伸ばす。けれど電話は沈黙したまま。
「アル・・・・・・・・・」
 それを何度も繰り返した。電話が鳴っている気がするのに、受話器をとろうとすると何の音も立てなくなる。
 来る日も来る日もそれを繰り返した。頭がぼぉっとして目がかすんだ。


 ずっと、アルからの電話を待ち続けた。


 アルには俺は要らないのに俺はアルが居ないと胸が痛くて苦しくて悲しくて寂しくて。アルは俺が居なくても大丈夫なのに。
「・・・・・・アル」
 電話が鳴っている気がするのに受話器を耳に当ててもアルの声は聞こえなくて。ツーという電子音だけがいつも流れるばっかりで。
「電話・・・・・・壊れてる・・・のか、な・・・・・・・・・・」
 俺は工具を持ち出して、電話機の螺子を外した。
 中は見たこともない機械。
 けれど何かが外れたり切れたりしているようには見えない。もっと奥の方なのかな。



 螺子を外した。全部外した。部品はバラバラになって戻せなくなった。



「あぁ、そうか・・・・・・錬金術で治せばいいんだ・・・・・・・・・」
 外した部品を寄せ集めて左右の掌を合わせた。
 青白い練成光。



 けれど頭の中はぼんやりと靄がかかってイメージは纏まらず、電話はなんだかよく判らない形になった。
 歪にあちこちが飛び出して・・・・・・・。
 何の音も・・・・・・・・・しなくなった・・・・・・・・・・・・・。









 もう、ダメなのだと思った。

 だってこれではアルからの電話に出られない。
 もう、電話は鳴らない。
 もう、アルからの電話はかかってこない。





 アルの声が聞けない・・・・・・。

 アルにもう会えない・・・・・・・・・・・。



 もう、会えない・・・・・・。





 アル・・・・・・・・・。













 俺はよろよろとその部屋へ向かった。
 その部屋にしまわれた‘それ’が傷んでしまわうことがないようにとカーテンを引いた部屋。

 かつてアルであった鎧が、大切にしまわれている、部屋。

 以前は毎日のように風を通して居心地のよかったこの部屋にも今はうっすらと埃が積もり、空気は湿って黴の匂いが鼻腔を刺した。
 でもそんな生理的な不快感なんてどうでもよかった。
 何もかもがもうどうでもよかった。
 だって俺はもう、たった一人なのだから。
 この世界でもう、アルと会えなくてたった一人なのだから。
 一人なのだから・・・・・・。




「アル・・・・・・アルフォンス・・・・・・・・・」
 俺はそっと、その青銅色の鎧に触れた。
 かつて、アルフォンスであった大きな鎧。
 かつてアルの魂が住んでいた、青銅色の大きな鎧。
 幾多の戦いが刻んだ小さな傷跡がザラリとした感触を掌に伝える。


 いまはもう、アルの魂が棲まない鎧。沈黙したままの鎧。
「愛してるよ・・・・・・・・・」
 アルの魂がここには無いと知っているから、俺はそっと、その言葉を囁いた。
 かつてアルフォンスであった鎧に、頬を寄せて。
「愛してるよ、アルフォンス・・・・・・・・」
 この想いをどうか、旅に出たあいつには伝えないで。
 嫌われてしまうから。兄弟で何を言っているんだと、嫌悪さえてしまうから。
 伝えないで。この想いをお前だけが聞いていて。
 困らせたくないから。嫌われてしまいたくないから。
「あいしてる・・・・・・愛してる・・・・・・・・・」
 その言葉をひとつ呟くたびに、胸の中が暖かくなった胸の痛みが和らいだ。
 幾つもいくつもその言葉を落として部屋中を埋めた。
「アル・・・・・・愛しているよ」
 この想いを伝えなくていいから、なぁ、鎧のアル。お前だけが聞いていてくれ。
 お前だけは傍に居てくれ。
 俺は鎧のアルの足元で丸くなった。
 ずっとここにいたかった。立ち上がる気力も無かった。
「アルフォンス・・・・・・・・・傍に、居させて・・・・・・」



 指先は冷えて痛みを訴え四肢は鉛のように重くなって。
 闇のようなどす黒い眠りが俺を誘う。


 抗いようもなく、俺の意識は闇に呑まれていった・・・・・・・・・・。










 何度夜が来たのかも、何度陽が昇ったのかも判らなかった。
 意識は薄ぼんやりとした白い光と闇の間をのろのろと行き来していた。
 目を開くと鎧のアルのつま先が見えて安心した。


 また、闇に呑まれて行った。


 時間が流れているのかも止まっているのかも判らなかった。そんなことはもうどうでもよかった。
 だって俺は、アルの魂が抜けた鎧のアルと一緒にここに居るのだから。

 ずっと、ここに居るのだから・・・・・・・・・。













 けたたましい靴音が、家中を走り回っている・・・・・・・・・。

 勢いよく扉を開ける音・・・・・・・・・。

 名前を呼ぶ声・・・・・・・・・。


 静かだった世界に、音が割り込んだ。
 その音を俺ははっきりしない頭で遠くに聞いた。




 音が、近づいてくる。硬い靴音。壊してしまいそうな勢いで扉を開ける音。


 あぁ、でも。
 この部屋には入れない。鍵をかけてしまったから。
 俺はここに居るから。ずっとここに居るから。
 鎧のアルと、ここに居るから。


 靴音が止まった。ガチャガチャとドアノブを捻る音。

 ・・・・・・ここには、入れないよ。

 重くて上がらない瞼を青白い光が照らした。知っていたはずの、青い光。





 そして再び響く靴音。
「っ・・・・・・・・・兄さん!!!」
 切り裂いたような絶叫が、俺を呼んだ。
 身体を強く揺すられて咳き込む。
「兄さん・・・・・・・・・」
 震えた声。
 強い腕が俺を抱きしめる。
 頭には霞がかかっていて、何が起きているのかよく解らないけれど。
 肉体は安堵してその腕の中でちからを抜いた。




>>>‘3’へ続く