『 ひびわれてかけおちて 』(1)













「じゃあ、落ち着いたら連絡をするよ。兄さん・・・・・・くれぐれも、身体にだけは気をつけて」
 やさしく眇めた金色の瞳が俺に笑いかける。何度見ても、何時間見ていても飽きることはなかった、ようやく取戻したアルフォンスの笑顔。
「ああ。アル、お前もな」
 二度と会えないわけじゃない、男兄弟なんてこんなもんだろう。それぞれの道を歩んでそれぞれに家庭を持って。
 そうやって一人前の男になってゆく・・・それはとても自然な当たり前のことだ。

 きっと、寂しいのは最初だけ。

 きっと慣れてしまう・・・・・・お前のいない生活にだって。
 だから、俺は笑ってアルフォンスを見送った。
 当たり前の、普通の兄弟の顔で。
「また、ね」
「ああ、またな」
 笑顔を交わして、手を振って。










 アルの生身の肉体。俺の右腕、左脚・・・・・・それらを真理から奪い返し、ホムンクルスたちとの戦いも終わった。
 取戻すための旅は終わり銀時計を軍に返して、俺とアルはリゼンブールへ戻った。
 デンは俺たちの周りをぐるぐると回りパタパタと尻尾を振って、ばっちゃんはいつもどおりキセル煙草をふかしながら口の端でにやりと笑う。
 ウィンリィは相変わらずスパナを振り回し、機械鎧の要らなくなった俺に上客が居なくなったと可愛げのないことを言ってはわざとらしく溜息をついて笑い、本当は喜んでくれているくせに素直じゃないなぁとアルが笑って、あら私は何時だって本気よとうそぶいて返す。
 上客が居なくなった代わりに腕の上がった機械鎧技師はすっかり売れっ子で、わざわざ遠方から訪れる客たちの応対で毎日大忙しだ。



 俺はといえば、やっと取戻した笑顔が嬉しくて、アルばかり見ている。



 穏やかなリゼンブールで昔みたいに穏やかに笑って。
 楽しそうにアルが笑って、その笑顔を見られるのが嬉しくて俺も笑って。
 穏やかに、おだやかにやわらかに日々は過ぎて。




 やさしい風の吹くリゼンブールで。
 母さんが居たあの頃のように幸せに穏やかに日々は過ぎて・・・・・・。







 幸せで。穏やかで幸せで。
 こんなふうに日々は続いてゆくのだと、思うでもなく至極当たり前に。










 いつものような笑顔で。アルが何を言っているのかすぐには解らなかった。
「だからさ・・・・・・旅に出ようかと思うんだ。一人で・・・・・独り立ちしても、いい頃かなって」
 ゆっくりと、言葉を咀嚼する。

 ああ、そうか・・・・・・・・・。

 アルは、弟は、大人になろうとしているんだ。
 肉体を失っていた、手探りで生きてきた時代を抜けて、自分の人生を歩もうとしているんだ。ひとりの人間として。‘俺’という、‘家族’という馴染んだ巣から出て、‘男’になろうとしているんだ。



 二度と会えないわけじゃない、男兄弟なんてこんなもんだろう。それぞれの道を歩んでそれぞれに家庭を持って。
 そうやって一人前の男になってゆく・・・それはとても自然な当たり前のことだ。
 きっと、寂しいのは最初だけ。
 きっと慣れてしまう・・・・・・お前のいない生活にだって。
 寂しいのは、最初だけ。その寂しさにも慣れてしまう。
 誰もがそうやって、寂しくても巣立ってゆくのだから。








 寂しくても、きっと・・・・・・。



 寂しくても・・・・・・・・・。


















 寂しい・・・・・・。












 寂しい・・・・・・・・よ。









 アル・・・・・・アルフォンス・・・・・・・・・。







 アルのいない家はやけに広くて冷たく感じられた。
 柔らかな色合いだと思っていた壁紙も、薄汚れて色褪せたようにしか映らない。
 本を読んで気を紛らわせようとしても、無意識にその名前を呼んで返らない応えがこの家にはもう自分しか居ないのだと俺に思い知らせる。
 息苦しい重さを伴って。


 寂しいよ。


 まだ、一週間だ。アルフォンスが旅立ってまだ一週間だ。
 慣れるから。
 それが当たり前のことだから。
 この寂しさにも慣れてしまうから。
 きっと慣れてしまうから。それが当たり前のことなんだから。
 慣れなければいけないんだから。
 誰もが、家族との別離を経験して大人になってゆくのだから。





 でも・・・・・・。
 声が聞きたい。
 アルの声が聞きたい。
 アルに・・・・・・会いたい。
 いつだって、一緒に居たのに。
 いつだって傍に居たのに。
 傍に居たのに。








 たった二人で旅を続けて。
 アルと二人きりで。
 でも、先の見えない旅の途中だって、一度も寂しいなんて思ったことは無かった。
 アルがいたから。
 アルがいたから寂しくなんかなかった。
 一人じゃなかったから。アルが傍に居たから。
 いつだって傍に居たから。



 だけど今は・・・・・・。



 寂しい。
 アルがいないからさびしい。
 寂しい。
 自分の女々しさが情けなくて可笑しくて馬鹿みたいだと思うけれどもどうしようもなく寂しくて。
 会いたくて。
 あの笑顔が見たくて声が聞きたくて俺を呼んで笑って欲しくて。




 会いたい。アルに会いたい。


 たった一人で取り残されたがらんどうの家の中、俺はアルフォンスの気配を求めて歩き回る。








 ああ、こんなことなら写真を撮ればよかった。
 恥ずかしがらずに照れたりせずに一緒に写真をとればよかった。
 たくさん写真を撮ればよかった。
 写真に写るのが嫌だと言って、写真館へ行かなかったのは俺だ。
 だって変わらないと思っていた。
 変わらずに俺たちはずっといつまでも一緒に居るのだと思っていた。
 別の道を歩むだなんて思ってもみなかった。
 想い出は心にさえ刻んでおけばいいと思っていた。
 変わらないと思っていた。
 その顔を見ることができなくなる日が来るなんて思いもしなかったから。
 変わらないと、ずっと・・・・・・。




 アル・・・・・・・・・。





 弟の部屋のドアを開ける。
 空っぽの部屋、外されたリネン・・・・・・・・・アルの気配の消された部屋。

 ・・・・・・・・・アルが、居ない部屋。

「アル・・・・・・」
 呼びかけても、当たり前だけれど、返事はなくて。
「・・・・・・・・・アル」
(なあに、兄さん?)
 窓際の机、呼びかけに振り返るアルの幻影。
(どうしたのさ、そんな顔して?)
 だって、お前が返事をしてくれないんだ。
(僕はいつだって兄さんの声を聞いてるでしょう?)
 居ないじゃないか、お前。俺を置いて出て行ったじゃないか。




 俺を置いて、出て行ったじゃないか・・・・・・・・・。




 アルが使っていたベッドの、その剥き出しのマットレスに顔を寄せる。
 かすかに、アルフォンスの匂いがした。
 俺は横たわり、その匂いを胸いっぱいに吸い込んだ。少しだけ、落ち着いた。
「アル・・・・・・アル・・・・・・・・・・アル」
 返事なんかあるわけないとわかっていて、それでも名前を呼んだ何度も、何度も。
 アルの匂いが残るベッドで少し眠った。夢の中でアルフォンスが俺を呼んで笑った。抱きしめられて嬉しくて俺も腕を回した。幸せで笑った。

 目が覚めると、当たり前だけどアルがいなくて悲しくなった。

 それから俺は毎日アルの気配がわずかに残るそのベッドの上で過ごした。
 毎日、アルに抱きしめられる夢を見た。髪を撫でられて幸せで笑った。キスをされて肌に触れられて気持ちよくてすべてを委ねた。しびれるような快感に酔って狂った。


 目が覚めた。夢精していた。


 恥ずかしくなった。泣きそうになった。唐突に俺は気付いた。
 俺は、こんなふうに触れてもらいたかったんだ。アルに・・・・・・血を分けた弟に。愛してもらいたかったんだ身も心も抱かれたかったんだ女みたいに、甘い声を上げてお前の熱をこの身体に注いで欲しかったんだ。




 ・・・・・・・・・だから、かな。
 だからアルは出て行ってしまったのか、な。
 俺のこんな欲望を見透かして気持ち悪くて出て行ったのかな。
 嫌いになったのかな俺のこと嫌いになったのかな。


 でも、会いたいんだ。その声を聞きたいんだ。



 ちゃんと兄貴の顔するから傍に居てくれ。






 ちゃんとするから、嫌いにならないで。
 俺を呼んで。その声を聞かせて。









 青臭い、俺の精液の匂いばかりが篭る部屋。
 ベッドからはもう、アルの残り香は消えていた。














 会いたいよ・・・・・・アル・・・・・・・・・・・。




>>>‘2’へ続く