『 その胸に夢をこの手に未来を 』
頭の上から細く無数の湯が注ぐ。
絶え間ない雨音のようにサラサラとパラパラと。
リズミカルにリズミカルに。
僕の肌の上で軽やかに踊る。
その温かさ、肌が湯を跳ね返すリズム、細やかな重さ。
肌をつたい落ちるあたたかな流れ。
むせ返る蒸気。
たっぷり泡立てた石鹸の滑らかさ。
僕は‘肌で感じる’ことのすべてに酔いしれる・・・・・・。
この感覚のすべてが真新しい喜びに満ちて。
感動と感激と喜びと感謝を。
支えてくれる人たちに待ってくれる人たちに。
そして・・・・・・誰よりも兄さん、あなたに。
祈るように。
いとおしむように。
祈るようにそっと。
いとおしむようにやさしく。
「お前、やっぱり子供の頃と変わらないのな。長風呂でなかなか出てこねぇの」
ベッドの上で枕を抱えたまま転がっている兄さんが楽しそうに笑う。
「だって、気持ちいいじゃない?温かいし、石鹸の香りも好きだし」
「そっか。じゃぁ、明日はバスタブに湯を張ってやるよ」
楽しそうに笑う。本当に楽しそうに嬉しそうに。
「そうしたら一緒に入ろうか?」
「はは、二人じゃ狭いだろ」
「いいじゃない狭くても。くっついて入れば」
「だってお前、エッチなことするじゃん」
「いや?」
「やじゃねー」
くすくすと笑いながら兄さんが起き上がる。向かい合って座る。
「ほら、アル。兄ちゃんが髪の毛拭いてやる♪」
首にかけていたタオルを頭にかぶせて、兄さんが僕の髪をかき混ぜる。
目元までタオルで隠された僕の唇に、兄さんが小さくキスをする。
一瞬だけ触れて離れてゆく。
僕は首を振ってタオルを落として。
目の前の、はにかんだような笑顔。目元をほんのりと染めて。
他の誰も知らない、兄さんの顔。僕しか知らない。
他の誰にも、見せちゃ、嫌だよ・・・・・・。
「ずるいよ兄さん。僕がしたかったのに」
よく引き締まった腰に腕を回して、僕は兄さんを抱き寄せる。
唇を尖らせて、兄さんが上目遣いに全然迫力のない顔で僕をにらんで。
「ずるいのはお前だろ。俺よか身長伸びてるし、何だよ、この脛毛」
決して濃くはないものの、二次性徴を遂げていた膝下にはそれなりに脛毛が生えて。
声も少し掠れて低く変わっていて、自分でもまだ少し耳慣れない。
「それに・・・・・・俺が取戻してやりたかったのに。この身体・・・・・・」
拗ねたような声で、けれど大切なものを丁寧に確かめる優しい手つきで肩に腕に触れる。
その手に、掌を重ねて包み込んで。
「うん。ごめん」
「お前は・・・・・・大事にしすぎんだ、俺を」
ほらね、やっぱり解ってる。どうして僕が一人で行ったのか。
「しすぎるなんてこと、ないよ。どんなに大切にしても足りない。全然足りない」
大切で、愛しくて。何ものにも変えられない、ただ一人のひと。
僕らにとって大切な人たちの幸せを願いながらも、彼らを一番悲しませるようなことをしている。本当は。
血の繋がった兄弟同士で、僕らは・・・・・・。
「キス、していい?触れても・・・・・・いい?・・・・・・それとも・・・・・・・・・」
引き返すなら、今しかないよ。新しい道を選ぶなら・・・今しかないよ、兄さん。
ここから先はもう、ただの真似事では済まされない、よ?
「いちいち聞くな。俺は全部、お前のもんだよ」
ことばの意味を違わずに受け取って、兄さんが静かに笑う。
「俺が取るのは、お前の手だけだ」
それが禁忌であってもどうしようもなく惹き付けられる愛しい人。
自分にとっても同じなのだと、兄さんが、僕に教えて。
愛する人に、同じだけ愛される幸せに満たされながらも僕らはいつでもせつなくて。
薄いうすい氷の上、手をつないでしずかに渡るような、そんな愛を僕らは息を潜めてそっと育てて。
「愛してる・・・・・」
唇の動きだけで兄さんがうっとりと囁く、それが合図。
他の誰にも見せることの出来ない大切な大切な宝物を手渡すようにそっと、僕らは愛を交わす。闇に紛れてそっと。誰の目にも触れないように、そっと。
「愛してるよ・・・・・・」
指先は熱を求めて愛しいひとを確かめ、唇を合わせればどれだけ自分がその感触に飢えていたのかを思い知らされる。
唇がつむいだきれいごとなど何の意味も持たないのだと嘲笑を浮かべ思い知らされて、狂おしく愛しいひとの温かな身体に溺れて貪って。
儀式のように祈りのように、さまざまな想いを背負って僕らは身体を深く繋げる。
悲しいくらい、もう、離れることなど出来ないのだとあなたを自由にしてあげるなど出来はしないのだと、強く強く思い知らされて。
「ずっと・・・・・・生まれ変わっても、ずっと・・・・・・俺は」
兄さんの腕が僕の身体を強く引き寄せる
謝罪のように贖罪のように大切な人たちの幸せをひたすらに、ただひたすらに祈りながら願いながら、深く・・・・・・ふかく・・・・・・・・・。
僕たち二人の決意と誓いを魂に遺伝子に深くふかく刻むみたいに。
「未来永劫ずっと・・・・・・あなただけを愛しているよ」
変わらないよ・・・・・・・・・ずっとずっと変わらないよ。
愛してるよ。
愛してるよ。
あいしているよ・・・・・・。
『きゃぁぁ!うそーーーーーーっっ!!ヤダあたし一体いつの間に眠っちゃったのっ!?』
隣室から響き渡る絶叫が、僕らを心地よい朝陽降りそそぐまどろみの床から叩きだした。
「やべっ!ウィンリィ・・・・・・!」
「とにかく!兄さん窓開けて!換気っ・・・換気しないとっ!!」
あの後シャワーは浴びたし汚したシーツはバスルームに放り込んだけれども、さすがに冷え込んだ夜気を浴びる気にもなれず窓は閉めたまま。
部屋にはアノ、独特の匂いが立ち込めている。いくら気の置けない幼馴染とは言え、女の子であるウィンリィをこのまま招き入れるわけにはいかない。
身に着けるものがないためにベッドから出られない僕の変わりに、兄さんがバタバタと下着に脚を通して窓を全開にする。爽やかな風が入っては来るものの、一晩充満していた空気はそう簡単に入れ代わってはくれない。
ありとあらゆる言い訳を頭の中でシュミレーションして万全を期して。
ガチャッ バタン!ドタバタパタパタパタパタパタ ガチャツッッ!!
「エドっ!!アルは!?」
やはり昨夜、僕がいないのに気付いたのであろう幼馴染は起きぬけに大慌てで支度だけして飛び込んできた様子で、最近よく纏め上げていた長い髪は毛先に寝癖がついて思わぬ方向を向いている。
「・・・・・・アルならほら、あそこ」
肩で息をするウィンリィに少し圧倒された顔で兄さんが僕を指差す。
僕は腰にがっちりシーツを巻きつけ、ベッドで上体を起こして愛想笑いを浮かべて。
「あはは・・・・・・おはよう、ウィンリィ」
兄さんが指し示す先を辿った真夏の青空のような瞳が、大きく見開かれる。
「・・・・・・・・・アル・・・?」
確認するみたいに、呟く。
「うん」
開いたままの両目からボロボロと涙をこぼして。
「心配した」
「うん。ごめんね、ウィンリィ」
「心配したんだから」
ボロボロと泣きながらベッドの脇まで駆け寄って、僕の頬に触れる。
「ホントに心配したんだから。エドも大騒ぎして飛び出していくし二人ともなかなか帰ってこないし・・・・・・でも・・・・・・・・・よかった」
「うん」
「元に戻れてよかった・・・・・・本当によかった」
泣き虫ウィンリィが本領を発揮する。
魂の拒絶反応の話になったとき、誰よりも心配してくれたのがこの幼馴染だ。
不老不死の業を求めるリンが鎧の体を便利だと言ったときに、僕が怒るよりも早く怒ってくれたのがこの、心優しい幼馴染だ。
「うん。ありがとう、ウィンリィ」
「よかった・・・・・・」
僕の肩に額をくっつけて泣く幼馴染をゆるく抱きしめて、あやすように落ち着かせるように髪を撫でて。
兄さんが、しかたねぇなという顔で苦笑している。
僕も、兄さんに笑顔を返して。
三人、揃うといつでも僕らはあの頃のリゼンブールへ戻った気持ちになる。
僕たちの母さんも、ウィンリィのお父さんもお母さんも笑っていた、僕らが本当に小さかったあの頃。
僕らがまだ、幸せしか知らなかったあの頃。
僕らはいつでも、あの頃に戻ってしまうね。
「おい、あんまり泣くと顔がブタになるぞ」
兄さんがハンカチではなく、タオルを差し出す。
「ブタって何よぅ!」
真っ赤な目でウィンリィが兄さんを振り返ったその時、まるで口げんかの仲裁でもするような絶妙のタイミングで僕の腹が高らかに、間抜けな音を響かせた。
二人は顔を見合わせ笑い転げ、僕ばかりがいたたまれなくてベッドに沈んだ。
「あはは!アル、お腹空いたでしょう。朝ごはん食べに行こ。ほら、エドもさっさと着替えちゃいなさいよ!」
笑いながら、でもうれしそうにとても嬉しそうにウィンリィが僕らを見て。
ああ、そうしたいのはやまやまだけどね。
「実はさ・・・・・・着るものが、ない」
グッタリと呟いた僕をまんまるに開いた目が凝視して。
「アル・・・・・・あんた、昨夜はどんな格好で帰ってきたのよ!?」
「兄さんのコート1枚・・・・・・に、素足」
何を想像しているのか、ウィンリィがなんとも形容しがたい表情をする。
「それって・・・・・・・・・春先によく出没するアレ、みたいよね?」
兄さんは声を殺し、腹を抱えている。・・・・・・笑っているのはバレバレだ。
「幸いなことにね、兄さんと一緒に大佐たちが車で来てたんだよ」
「・・・・・・・それは、よかったわ・・・・・・」
まぁ、仕方がないから食堂でサンドイッチか何か作ってもらって来ると言い置いて、ウィンリィが部屋を出て行った。笑いながら、踊るような足取りで。
残された僕らは肩を落としてやれやれと笑って。
「兄さん」
僕のよび掛けに寄って来た兄さんの両腕を引き寄せる。
桜色の唇にキスをする。やわらかい。
「おはようのキス。しそびれちゃったからね」
ずっと、したかった。
朝陽に明るく光る金の髪を撫でておはようって言ってキスをして。
「・・・・・・おはよう、アル」
照れくさそうに、頬を赤くして兄さんが小声で言って。
「着るものは後で中尉が持ってきてくれるとしても、とりあえず兄さん」
「ん?何だ」
「パンツ貸してパンツ」
顔を真っ赤にして兄さんが目を瞠る。
「え、何お前俺のパンツ履くの!?」
そう、と軽く答えて笑って。
こんなふうに、ずっと笑っているために。
あなたとずっと、笑っているために。
施錠して、カーテンも閉めた病室に光が溢れる。
誰もが息を呑んで見守って。
信じられないといった顔で呆然としたハボック少尉に視線が集まる。
「・・・・・・どうだ、ハボ?脚は・・・・・・・・・?」
恐る恐る、ブレダ少尉が声を掛ける。
ハボック少尉が自分の腿をぐっと握って、僕たちをゆっくりと、見上げる。
「イ・・・テェよ。はは、イテェ・・・・・・」
アイスブルーの瞳が揺れてくしゃりと笑って。
ガッツポーズを決めたり目元を潤ませたり、皆が声を抑えて感情を分かち合って。
「リハビリはしっかりしておけ。容赦なくこき使ってやるからな」
背筋を伸ばして顎をちょっと上げて。
なんでもないみたいに余裕な顔をして大佐が憎まれ口を叩いて。
「けっ、素直じゃねーの。本当は誰よりも嬉しいクセしやがって」
それを兄さんがニヤニヤ笑ってからかう。それに大佐が高慢な笑顔を返すいつもの光景。
いつもどおりの、光景。
まっすぐに進もう、手を伸ばそう。
風を切る音、地面を蹴る音。
兄さんの金のおさげが勢いよく振り回されて。
拳をよける、僕の放った蹴りが受け止められる。
息が上がるもっと身体を絞らないと、もっと筋力をつけないと。
ほんの一瞬放たれ割り込んだ、短くて鋭い殺気。
「・・・・・・!!」
僕も兄さんも、反射的に飛びずさって攻撃をかわす。
「敵とは何時でも一対一とは限らなイ。油断するナ、折角取戻したのだろう?その身体、あっという間にまた失うことになル」
塀の上で逆光を浴びる黒装束。影はよりいっそう暗い。
けれどその声音からは刃物の鋭さを落として。
「おっしゃ、相手してもらおうじゃねぇの」
兄さんが笑う。ニヤリと、好戦的に。
確かに僕と兄さんでは良くも悪くも息が合いすぎる。異なった呼吸を交えることもいい勉強になるだろう。
「ランファン、手合わせお願いするよ!」
空気が引き締まる。微かな風の音。神経を研ぎ澄ませる。
ザ・・・・・・ッ
僕と兄さんは同時に地面を蹴った。
僕らを支えてくれる人たちがいて、僕らを信じて待ってくれる人たちがいて。大切な人たちがいて、愛する人がいて。
「どうする?君たちの願い、一部だが叶った。この先に待つのは正体の知れない敵との戦いだ。旅をやめて故郷へ帰るか・・・・・・それとも」
大佐の言葉に、僕たちは首を横に振って答える。
「あの時、ホムンクルスの女の人は僕と大佐のことを‘人柱候補’だって言った。僕たちはもう無関係じゃない」
「賢者の石とホムンクルスの関係。石の材料は生きた人間。奴らが何をする気なのか・・・・・・何のために扉を開けようとしているのか。新しく石を作る気だとしてもそうでなくても、奴らを何とかしねぇと落ち着かねぇだろ」
戦いを他人任せにして自分たちだけ安全な場所になんている気はない。
だって、決めたんだ。
守り抜く、って。
もう、誰一人失わない。誰も泣かせない。
自分の未来を人任せになんかしない。
掴み取るんだ。
僕らにとって大切な人たちが幸せに笑う未来を。
兄さんと静かに、笑って迎える未来を。
負けない。
誰一人失わない、誰も泣かせない。
掴み取るんだ、この手で。僕たちの手で。
みんなが笑う未来を。
まっすぐに、手を伸ばして。
END