『 虫歯と歯磨き、甘い時間 』








 身体はともかく精神がくたくたに疲弊して、ヨロヨロと宿に戻った俺を弟が待ち構えていた。
「お帰り兄さん。で、どうだったの?」
「・・・・・・・・・奥歯が2箇所・・・・・・」
 顔色を伺おうとして目線だけで見上げる。
 鎧の面は外見上こそ無表情だけれど、常に一緒に居る俺にはその感情の動きが手にとるようによく判る。
 兄弟だしたった一人の家族だし、なにより・・・・・・・・・コイビトだし。
 今のアルフォンスは・・・・・・仕方がないな、という呆れ顔。ちょっと怒っているポーズで。
「やっぱりね」
 ふぅ、と。溜息をついてみせる。




 朝からずっと、鈍く響くその痛みを堪えていた。
 熱いスープが歯に沁みる。瑞々しいキュウリの弾力が歯に響く。
 刻一刻と痛みは鋭さを増す。集中力のすべてがこの一点に集結して研究も読書も出来たもんじゃない。
 アルの目を盗んで鎮痛剤を飲んでも治まらなくてもう1錠と飲み足して。暫く待ってもまだ痛むので更に手を伸ばしたとことで後ろから捉まる。
「兄さん、歯が痛いんなら歯医者に行ってきな」
 行きたくないから鎮痛剤で誤魔化そうとしていたんじゃないか、弟よ。
「甘えた顔してもダメ。歯は自然治癒しないんだからね」
 そういって歯医者に放り込まれる。
 歯医者が怖いわけじゃない痛みに弱いわけでもない。
 ただあの、歯を削るゴリゴリという音がたまらなく嫌なだけだ。口を開けっ放しで顎が疲れるのが嫌なだけだ。「痛かったら言ってくださいね」なんて言っておいて‘痛い’とちゃんと発音できずに唸っているのにあっさり無視されるのが嫌なだけだ。
 暴れだしてしまいそうになる・・・・・・。






 仮の詰め物を入れられて二日後にまた来院するようにといわれて。
 宿のおかみさんに頼み込んだという、野菜をすりつぶしたクリームシチューの夕飯の後でアルが言う。
「歯磨き、ちゃんとしないとね?」
 む?それは聞き捨てならないぞ?
「朝晩ちゃんと磨いてるだろ?」
「歯ブラシ銜えたまま部屋の中うろついて本を開いて?磨いてる時間より本読んでる時間の方が長いじゃないか」
 それを言われると辛い。
「昨日だってシャツに歯磨き粉垂らしてたでしょ?」
「うぅ・・・・・・アルがやさしくない・・・・・・・・・」
 まるで心外だとでも言うように肩をすくめて小首を傾げて。
「僕はいつだって優しいでしょう?」
 クスクスと笑って、アルがベッドの上で胡坐をかく窪みにクッションを置く。両腕を広げる。俺を招くみたいに。
「ほらおいで、いっぱい甘やかしてあげる」
 するの、かな?食事したばっかりなのに。まだ、こんなに早い時間なのに?
「歯、磨いてあげるよ」

 何を言い出すんだとも思ったけど、優しい声には、逆らえない・・・・・・。





 アルの膝のクッションに頭を乗せて、俺は仰向けに寝転がる。
「はい‘あーん’て、して」
 言われたとおりに口を開く。
 真新しい歯ブラシが俺の口に差し込まれる。前歯の裏から一本一本丁寧にブラッシングが施される。
 大きな掌が俺の頬を包んで、見やすいように角度を変える。とてもとてもやさしい手つきで。


 気持ちよくて、甘い。


 首の下に手があてがわれて頭の角度が変えられる。口が、大きく、開く。
「じゃあ、次、奥歯ね」
 にゅっと、上の奥歯の裏に歯ブラシが差し込まれる。
 え・・・・・・そんな、奥・・・まで・・・・・・?
 はじめて、そんな深いところまで差し込まれて、戸惑う。
「暗くて、よく、見えないね」
 囁くような声で言って、アルが手元に灯りを寄せる。
 大きく開けた口の中が、ほの暖かく照らされる。
「ぜんぶ見えるよ、兄さんの口の中。あぁ、やっぱり。ここがちゃんと磨けてないね」
 狭い粘膜を探るように見られて、恥ずかしくて顎を引いて。
「ダメだよ、兄さん。ちゃんとお口開けて、ぜんぶ見せて」
 恥ずかしくて身体が熱くて、でも、口をあけてアルに見せて。
「そう。いい子だね」
 頬にかかった髪を太い指がそっと払って、柔らかな毛先が今まで触れたことのない奥のほうの粘膜をやさしく撫でて。


 恥ずかしくて気持ちよくて身体の力がぜんぶ抜ける。
 身体が熱くて恥ずかしくて・・・・・・気持ちよくて。


 とろとろに、なって・・・・・・。





「はい、いいよ兄さん。お口すすいで」
 力の抜けた身体をそっとかかえ起こされ、水の入ったコップを渡される。促されて洗面器に水を吐き出して。
 歯の裏までツルツル口の中はピカピカ。
 なのに、余計に虫歯になりそうな甘い気分。
「兄さん・・・・・・えっちな顔してる」
 Tシャツ、乳首浮いてるよ、と、耳元でからかわれて。
 恥ずかしくてムッとして、だけどもっと、気持ちよくなりたくて・・・・・・。
「アル・・・・・・他のトコも・・・・・・・・・して」
 恥ずかしくてたまらないけど、でも、もっと気持ちよくなりたくて、小声でねだる。
「え?歯ブラシで?」
 空っとぼけた台詞を吐いてアルがクスクスと笑う。
「そ・・・・・・・・・・へ、へんたいっぽいじゃんか」
 焦りまくる俺をアルが膝の上に抱き上げて。
「そう?まんざらでもなさそうに見えるけど?」

 意地悪く笑ってやさしく服を脱がして・・・・・・。




 いっそ虫歯が増えてしまいそうな、甘いあまい時間が、はじまる。










END