『光に祝福されし者』





 オレンジ色の夕日が図書館のエントランスを飾る大きなステンドグラスから差し込み、その青灰色の鎧にさまざまな色を散らす。
 それは荘厳なまでの美しさ。
 世を救う運命を与えられ旅立つ勇者のように。穢れのない心をその空洞の中に抱いて。
 まるで、光に祝福された者のように。



「アル、アルフォンス!!」
 降り注ぐ色とりどりの光に心奪われていた彼は、突然の大声とぶれた視界に我に返った。
 傾いだ方向に意識を向けると金色の双眸が'視え'る。何時もまっすぐに前を見据える輝かしいそれらはけれど、何かに怯えるように心細げに揺れている。
「兄さん?・・・・・・どうしたの、そんな顔して」
 気遣うようにそっと膝を落とし、幼さの抜け切らないふっくらとした頬に硬い掌をアルフォンスが添えた。
 その、慈悲に似た触れ方が、兄であるエドワードの焦燥をさらに煽るものだとは露ほども、思いもせずに・・・・・・。




 あの日、あの、大雑把にさえ見える笑顔の下でさりげなく他人を気遣う父性の象徴のような人が、ホムンクルスと軍を繋ぐ何かに気付いて殺されたのだと知ってしまったあの日。
 自分のために命を落とす人が出るのであればと、悲願であった筈の'生身の身体を取り戻す'ことを諦めると、その魂だけの存在である彼が一度といえども決意してしまったあの日からずっと・・・・・・エドワードは怯えていた。




 目的を手放してしまったら旅は終わる。
 必ずその肉体を――――眠ることの出来る食べることの出来る、暑さや寒さ触れたものの硬さや柔らかさ――――それら全てを知覚することの出来る生身の肉体をこの手で取り戻してやるからと、二人きりで続けてきたこの旅が、終わってしまう。
 二人、共に居続けることの意味を失ってしまったならば、弟はどうするのだろう。
 温かな肉体を扉の向こうへ奪われてしまった、その原因である禁忌へと唆したこの愚かな兄から離れ旅立ってしまうのか。
 恨んでいないと、憎んでなどいないと穏やかに告げるその聖人のごとき魂は、'肉体'という欲にまみれた器を持たないからなのではないのか。
 自分の命と引き換えてもかまわないくらい大切な弟に、恨まれて離れて行かれることにエドワードは怯え、欲望という人間らしさを少しずつ削り落としてより清らかな、より美しい者に変わろうとしていることに、また怯えた。


『神』は、美しく清らかな者をその手元に取り戻そうとする。


 だから、アルフォンスがその魂から欲を切り捨ててゆくことが、恐ろしくてたまらない。
 欲を持たない人間など居ないのだから。
( 自分のこの、醜い執着心で弟を穢してしまおうか )
 血を分けた肉親の、その仮初めの鎧姿にすら熱を覚えるこの、汚らわしい欲望で。
( 蔑まれてもいい。それは人間の持つ感情だ )
 蔑みながらもきっと、アルは兄を捨てては行けない。それは確信。
――――『その優しさにつけこんでしまえ』
 心の奥底で、粘りつくような自分の声が聴こえる。
 その考えはドロドロと、甘美な毒のようにエドワードの体内を侵してゆく。
 まるで光そのもののように高潔なアルフォンスの魂の前に、穢れた欲望のすべてを曝け出す。左足と右腕を機械鎧に置き換えた足りない身体で、それでも浅ましく欲情する様をぜんぶ全部、見せ付けて。
 ああ、どうか。蔑んで踏み躙って、口汚く罵って。そしてそれに愉しみを見出して。
 甘美なる毒に酔うように、エドワードの唇がうっとりと緩む。金の瞳が夢を見るようにとろりと揺れる。触れる掌に頬を預けてゆっくりと瞬きをする。
 差し込む光はエドワードにも降り注いでいるが、兄が弟の上に見た祝福のようなそれとは違い、どこか闇を孕んで光は彼を艶やかに照らした。
「なんでもないよ・・・・・・アル、宿に戻ろう?」
 アルフォンスはそれに答えず、企みに心酔し上気したエドワードを見つめるように、食入るようにその鎧の面を向けている。
 まるで目が離せないといった素振りで。
 その反応が、エドワードに愉悦をもたらす。見つめて。もっともっと、心捉われて。
「アル・・・・・・早く帰ろう?」
 弟の視線を受けてぞわりと甘く痺れた身体を己の腕で抱きしめる。
 アルフォンスはそっと真紅のコートのフードを兄に被せ、片腕の中に閉じ込めるようにして膝を起こした。
「・・・・・・うん、そうだね兄さん。早く帰ろう」
 そして兄の耳元に秘めやかに囁く。
「そんな顔、他の誰にも見せたら駄目だよ」
 



 人目から兄を隠すように前を歩くアルフォンスの背中に、エドワードは怪しく微笑んだ。