『安息の夜を』
それは、どんな悲しみだったろう
弟の体の内側で、合成獣の女の人が殺された
その身の内で
ひとつの命が無惨に奪われていった
それは、どんな苦しみだったろう
どんな喪失だっただろう
「アル、こっちに来いよ」
ベッドに腰掛けたオレは、両腕を広げ弟のアルフォンスを呼び寄せた。
眠りを必要としない仮初めの身体に魂を定着させた弟は、悪夢に魘されることがない代わりに、柔らかな『眠り』に逃げることさえも出来ない。
「なぁに?兄さん」
『助けられなかった』と、悲痛に声を震わせていた弟。
腕の間にやってきた弟をその場に座らせ、その鈍色の鎧にゆるりと腕を回し抱きしめる。
「兄さん?」
生身の左手で首の後ろ、血印のあたりを想いを込めるように撫で摩る。
たとえ体温が伝わらなくても、ほんの少しでも癒しになることが出来るように。
死んでいった女の人の無念や怒り、助けようとして叶わなかったお前の無念と嘆き。そういったものがその空洞の鎧の中に積もってゆかないように。
苦しみも悲しみも全部、オレが引き受けるから。
俺のせいでこんな姿になってしまったお前に、これ以上の苦しみなんて与えたくないから。
その鋼鉄の面に頬を寄せて掻き抱く。
「兄さん・・・・・・にいさん」
鎧の中で反響した幼い声がわずかに安堵するように緩んでゆく。その冷たい腕が、縋りつくようにオレの腰に回る。
かけてやれる言葉なんて見つからない。俺はただ、何も言わずにアルフォンスを抱きしめた。
「にいさん・・・・・・」
「ああ」
「兄さん・・・ボク・・・・・・ボクは」
「ああ」
無機質な鎧の中に、確かにオレの弟は存在している。優しくて暖かな精神は、間違いなくここに存在している。
「あの人を・・・マーテルさんを助けたかったんだ。'逃がしてやってくれ'って、頼まれたんだ・・・・・・」
「うん」
辛かったな、悲しかったな、怖ろしかったな。
オレが居るからずっと居るから、大丈夫だから。
言葉には出さずにけれど想いが伝わるように血印を撫でる。
アルフォンスの、あたたかな魂そのものを抱きしめるように。
真理の記憶が甦ったと言った。それは何を意味している?
それほどに大きな衝撃だったということだ。
直視してしまったら到底受け止めることが出来ないほどの、大きな衝撃だったということだ。
自分の内側で・・・・・・腕の中の命が、無惨に刺し貫かれ、殺されてゆく。ひとつの命が、自分の腕の中でなすすべもなく奪われてゆく。
忘れなければ、どこかにおいてこなければいられなかった筈の、真理の記憶ですら持ち出さなければならないほどの苦痛だったということだ。
けれどそれは、完全に刷り換えられるものではない。
その悲しみも苦しみもなかったことには出来ない。忘れられないならせめて、オレが一緒に抱えてゆくから。
「兄さん・・・・・・兄さん・・・・・・にいさん」
「アル・・・・・・」
「助けたかったんだ。あんな身体にされても自分のことばっかり悲しまなくて、仲間を大事にして・・・・・そんな人たちから助けてやってくれって言われて僕もなんだかあの人たちのこと嫌いじゃなくてボクのことも、変な目で見ないでくれて・・・・・・死なないで欲しかったんだ。助けたかったんだ。頼まれたからだけじゃなくて・・・っ!」
「うん」
目頭がなぜか熱くなる。まるで泣けないアルの代わりのように、あとからあとから止めようも無く涙が溢れてくる。オレ自身はその女の人に、何の感情も持っていないのに。顔を見たのだって、その人がもう死んでしまってからだったというのに。
「おねがい、兄さんは・・・・・・居なくならないで」
オレの鼓動が伝わるように・・・・・・命を刻む音にアルフォンスが安心できるように・・・・・・。
「ああ、勿論だ。どこにも行かないよ・・・・・・アル」
何時までだってそばに居るから。
離れてしまうなんて事、出来ないのは俺も同じだから。
今夜は一晩中、お前を抱きしめていよう。
お前の変わりに涙を流そう。
だからどうか、アルフォンスの魂に安らぎを。どうか。
こんな苦しみを抱えたままで、眠りのない夜は、永過ぎる。