『 ひとときの夢を 』
彼の部屋から微かにこぼれるラジオの音に気づいて、僕は読みかけの本から視線を上げた。
こんな時間に。まだ、彼は起きているのだろうか?
掴むことの出来ない糸口が結果の出ない努力が。彼を絶え間なく追い詰める。
焦燥して。精神も肉体もボロボロに疲弊して。
それでも深い眠りは彼のもとに訪れない。彼に安らぎを与えてくれない。
誰も僕も、彼に安らぎを与えてあげることができない。
誰も。僕も。
僕が、彼の安らぎになれればいいのに・・・・・・。
ノックをして返事がないのを確認し、そっと扉を開ける。
いつものように本に集中しているか、それともようやく眠りが訪れたのか。
ラジオから静かに流れる夜想曲。それに混じり聞こえるひそやかな寝息。
眠りが彼に休息を与えているのであれば、良い。
眠りが、彼の嘆きをたとえ束の間でも癒してくれるのであれば良い。やさしい夢で彼を癒してくれるのであれば、良い。
けれど机に向かったままのこの体勢ではすぐに無理が出るだろう。折角訪れた眠りなら、ちゃんとベッドで休ませてあげたくて。
ベッドに移すだけだから・・・・・・と、誰にともなく言い訳をして、そうっと彼の腕を僕の首に回して目を覚ましてしまわないようにそっと、その膝の下に腕を差し入れて。
本人に言うとものすごく怒られるので決して口に出すことは出来ない彼の小さな身体。
簡単に持ち上がるつもりで抱き上げて・・・・・・その予想外の重さに、僕の身体はぐらりと傾いだ。
椅子が派手な音を立てて倒れ、僕は盛大に尻餅をつく。
エドワードの身体が床に家具に打ち付けられないようにと身体をひねって。僕がクッション代わりになるようにと。
その反射神経は頭しか使ってこなかった僕には奇跡としか言いようがない。
彼に怪我をさせずに守りぬいた僕を僕は褒めてやりたい。
けれど折角の眠りから彼をたたき起こしてしまったのではないかと、そのことに思い至って気分は一気に下落する。
そっとそっと、様子を伺う。小さな声で呼びかける。
「・・・・・・エドワード?」
返事の代わりに聞こえてきたのは規則正しい微かな寝息。
安堵と同時にせり上がってきた切なさ。
多少不自由そうではあるものの、まるでなんでもないふうに振舞っていた彼のこの鋼の義肢が、重いおもい枷のように彼を縛り付けて小柄な身体にのしかかって。
『眠れない』とぼやいていた彼がこれほど深く眠っているのは、それほどに身体が限界だったということだ。気を失っているといってもいいくらいに。
何があなたを縛り付けるのですか?
ひたむきに空へ飛び立とうとするあなたを縛るこの枷は一体何なのですか?
この枷を取り去ったらあなたは自由になるのですか?それとも失意の海に沈むのですか?
僕では駄目ですか?
僕ではあなたの手足になれないのですか?
昼の日差しの名残がすべて通り過ぎ、ひやりとした夜気が静かに部屋を満たしてゆく。
寒くなったのか、彼が、身体を丸めて僕の胸元に顔を埋める。
甘い甘い切なさ狂おしいぬくもり。
力の限り抱きしめたがる両腕を必死で宥めすかしてその温もりをもっと、と知りたがる掌を握り締めて堪える。
だって彼はそれを望まない。
そんな寝こみを襲うような卑劣な真似は、僕だって望まない。
僕はあなたの恋人になりたいけど、それ以上に、あなたが安らげる場所でありたい。
あなたに笑って欲しい。幸せに笑って欲しい。
あなたの望むことぜんぶ叶えて、あなたが幸せな笑顔を僕に見せてくれればそれでいいから。
それが僕らの別離を表すのだとしても、あなたには幸せに笑って欲しいから。
もし、僕らが出会ったのがあなたの生まれ育った世界であったら・・・・・・あなたはずっと、僕の傍に居てくれるのでしょうか?
そんなことを思う自分を苦く笑って、僕は寄りかかっているベッドの上に腕を伸ばしブランケットを引き摺り下ろした。
眠る彼を僕の体に凭れさせたまま、一つの毛布に二人で包まる。
僕には彼をベッドに運んであげられないから。
このまま床に寝かしておくことなんて出来ないから。
そんなふうに言い訳がましくあたたかな身体をゆるく抱いて。
腕の中で彼がもぞもぞと動く。
居場所を決めたのかすっぽりと納まってふぅと小さな息をつく。
僕の腕の中で、安心しきったみたいに・・・・・・。
僕の胸に幸せが広がる。寂しさを拭いきれない幸せがこみ上げる。
いつかあなたは元の世界に戻ってゆく。
いつかあなたはその世界で幸せに包まれる。
あなたを待つ人たちに囲まれて幸せに笑う。
ねぇ、でも今は。せめて今だけは僕をあなたの安らぎにして。
ねぇどうか僕をあなたの居場所にして。
今だけは・・・・・・。
どうか、今だけは。
どうか・・・・・・・・・。
END