『 Hot Pursuit 』
あたたかい・・・・・・あたたかいな。
何だろう、とても、しあわせなぬくもり・・・・・・。
僕はこれをしっている・・・・・・遠い昔に、知っていた・・・・・・なんだったろう。
ああ、そうか・・・・・・光、だ。
朝陽が射しているんだ・・・・・・瞼を透かして、きらきらしたきんいろのひかり。
あたたかくて、しあわせな、きらきらの光。
きもちがいい。眠くて、瞼があがらない・・・・・・。
そうだ・・・・・・・・・今日は花を買いに行こう。
きれいな花をたくさん買って・・・・・・兄さんの部屋に飾ろう。
いい香りのする花をたくさん兄さんの部屋に飾って・・・・・・。そうしたら笑ってくれるかな。嬉しそうな笑顔が見たいな。寂しそうな顔なんか、しないで。
ああ、キスしたいな・・・・・・兄さんの唇に。ふっくらとしたあの唇を吸ってバラ色に染めてしまいたいな。
抱きしめて・・・・・・恋人のキスをして『好きだ』って言いたい『愛してる』って言いたい。
言わないけど・・・・・・言えないけど。
もっとずっと兄さんの傍に居たいから・・・・・・愛してるなんて言えないけど・・・・・・・・・。
まどろみの海の底から現の水面へと、僕はゆっくりと浮上する・・・・・・。
きんいろのひかり。花のかおり・・・・・・。しあわせなそれに、顔を埋めて・・・・・・・・・・・・?
・・・・・・なんだ?
なんだっただろう・・・・・・この覚えのある香り・・・・・・花の香り・・・・・・・・・。
頭がガンガンする。ああ、呑み過ぎた・・・・・・思い出せない・・・なんだった?この香りは・・・・・・?
そのとき腕の中でぬくもりが、もぞりと、動いた。
心臓がドクンと大きく音を立て僕は急速に覚醒する。あれほど重かった瞼が反射的に開く。
目の前の金色輝く金の髪うでの中のぬくもり人の肌からだじゅうで触れているひとはだ腕の中の裸体。
兄さんを部屋に残して夜の街で酒を飲んで女を抱いて本当に抱きたい人は抱くことが出来ないから後腐れのない女を選んで身体の欲望を吐き出して・・・・・・。
そのまま朝を迎えてしまったか?ワインを買って帰らなかったか?新年の鐘だけはせめて愛する人と・・・・・・兄さんと一緒に聴きたくてワインを買って帰らなかったか?
目の前の金の髪兄さんとよく似たきれいな金の髪花の香り兄さんに買った花の香りのする香油。
心臓が早鐘を打つ頭に響くドクドクと警報を鳴らす呆けている場合じゃないと僕を追い立てる。
頭が痛い頭が痛いドクドクと脈打って思考がまとまらない嗚呼もうやめだ酒なんかもう飲まない思考がまとまらない今考えるべきことはそんなことじゃない。
買ったワインはどうした昨夜の女は黒髪じゃなかったかもう酒なんか飲まない兄さんをホテルに残して酒を飲んでああもう思考が纏まらない。
僕の脚に、ひんやりと滑らかな、鋼が触れた・・・・・・・・・・・・。
「!!・・・・・・・・・・・っつ!」
跳ね起きる。頭を殴られたような激痛に呻き沈み込みそうになる。
反動で跳ね飛ばされた‘その人’が身じろぎをする目を覚ます。
「ん・・・・・・」
金の髪、つややかな金の髪・・・・・・兄さん・・・・・・・・・。
身体中に散るうっ血のあと。全身に花びらを散らしたようなキスマーク。
うなじと肩甲骨の辺りにうっすらと血の滲む歯列の痕跡。
おそるおそる覗き込んだ青ざめた顔、頬に残る乾いた涙・・・・・・。
抱きしめたくてキスしたくて抱きたくてひとつに繋がりたくて。
だけど抱けなかったキスできなかった。この想いを遂げてしまったら、居られなくなるから。あなたのそばには居られなくなるから。きっと嫌悪されてしまうから・・・・・・。
でも、これは・・・・・・どう見ても情交の痕跡じゃないか・・・・・・・・・。
涙の痕、乾いた涙のあと。
・・・・・・陵辱、の痕・・・・・・・・・・・?
何をした?
酒に酔って、僕は何をした?
押さえつけて肌を吸って?涙をこぼすあなたを・・・・・・犯して?
思い出せない、思い出せない・・・・・・オモイダセナイ。
頭が痛い。
けれど身体はけだるい満足感に包まれ、僕らは二人何も着けずに同じベッドに横たわって兄さんの身体はキスマークで埋め尽くされて・・・・・・。
割れるように頭が痛い。
どうしよう・・・・・・どうしよう、どうしよう・・・・・・。
傍に居たいから触れられなかったのに、キスしたくてたまらなくても我慢してきたのに。
どうしたらいい、僕はどうしたらいい?
酒に酔って全てぶちこわしにして。
どうしよう、どうしよう、どうしよう。
頭が痛い、ああ、頼むから何もかもを無かったことにしてくれ誰か。
お願いだ、お願いだから兄さん、僕を嫌わないで。僕を嫌悪しないで僕を赦して。
傍に居たいんだ。一緒に居たいんだよ、兄さん!
お願いだから・・・・・・僕を嫌悪しないで・・・・・・・・・。
「にいさ・・・ん・・・・・・」
頭が、割れるように、痛い。
青ざめた瞼がゆるゆると開く。力のない金の瞳が、僕を見て強張る。
「・・・・・・見るな、よ」
酷くしわがれた声。咽喉を押さえて、咳をして。
「見るな・・・・・・アル」
兄さんが笑わない、おはようって言わない。
ガラガラの声、涙の痕。
泣いて叫んだの?嫌だって怒鳴ったの?
兄さんが笑わないおはようって言ってくれない。
僕が酷いことをしたから、僕を嫌いになったから・・・・・・?
ごめんなさいごめんなさいごめんなさい・・・・・・お願いだから嫌いにならないで。
「ごめんなさい・・・・・・にいさん・・・」
嫌なことをしてごめんなさい。
「そんなつもりなかったんだ、こんなことする心算、なかったんだ」
赦して、僕を嫌いにならないで。
ゆっくりと身体を起こし、紙のように白い顔が表情もなく僕を見据える。
笑ってよ、僕を赦して嫌悪しないで。
もうしないから。兄さんの嫌がることはしないから。ちゃんと我慢するから。
「ごめんなさい、ごめんなさい・・・・・・抱くつもりなんかなかった」
大切にしたかったんだ。傍に居たいんだ。
お願いだから、僕を赦して。
兄さんの顔が、歪んだ笑顔をつくった。
「なら・・・・・・どんなつもりだよ」
「兄さん!!」
悲鳴を上げるみたいに僕は叫んで。
膝に縋ろうとした僕をかわして兄さんがベッドを降りて・・・・・・小さく呻いて身を屈めた。
うっ血の散らされた腿の内側を伝う、トロリとした白濁・・・・・・。
流れの源は赤く腫上がって身じろぎとともにまた、その白い穢れを溢れさせて。
ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、あなたを汚して。
一番大切なあなたに一番酷いことをして。
「兄さ・・・んっ!」
「見るなっ!・・・・・・俺に触るな・・・っ!!」
すがり付こうとして抱きしめようとして手を伸ばして、めちゃめちゃに暴れる兄さんの腕が、僕の手を振り払って・・・・・・。
はじめて兄さんに手を 振り払われて・・・・・・・・・。
『え・・・・・・?』
そんなこと一度もなかったから、僕の手を兄さんが取ってくれないことなんかなかったから、互いに伸ばした指先が届かなかった‘あの時’以外、一度だってなかったから・・・・・・。
ショックで動けない僕の頬に振り回した右手がきれいに入って・・・・・・。
二日酔いの頭の中で銅鑼がいくつもいくつも鳴り響いて。
・・・・・・・・・僕は無様に、意識を失った。
どのくらい気を失っていたのか。
5分経つのか1時間経つのか、それすらも判らなかった。
だけどたった一つ分かったこと・・・・・・兄さんが、ここから居なくなってしまった、と、いうこと・・・・・・・・・。
手を振り払われた記憶が鮮明によみがえって、心が潰れそうに痛んだ。
頭の痛みも、二日酔いの胸糞の悪さも、今はもう気にならなかった。
だって、痛いんだ。心臓を握りつぶされるみたいに、胸が痛いんだ。
兄さんが僕の手を振り払って僕を置いて姿を消して・・・・・・。
兄さんに嫌われて、兄さんが居なくて、まるで小さな子供のように心細くて嗚咽が漏れて・・・・・・。
ああ、でもこんなことしている場合じゃない。
「追いかけ・・・・・・ないと」
だって、兄さんを失ってしまったら僕の人生は価値を失う・・・・・・。
音にするつもりのなかった呟きが、無意識に口から零れて落ちた。
「ウィンリィ!兄さんは、ここに来ていないか?」
呼び鈴を鳴らすことさえ忘れて、僕は幼馴染の家の扉を勢いよく開けた。
玄関ホールには部屋着の上から暖かそうなニットを着込んだウィンリィと、見覚えのある眼鏡の男。
「エドなら昨夜、お前が連れて帰っただろう・・・・・・アルフォンス?あぁ?お前、また随分とおしゃれな顔してるな。兄弟喧嘩か?」
「君はどうしてここに居る、ピット?」
「ピットは往診に来てくれたのよ、アル。それにしても見事な青痣ねー、あんたがそんなにきれいに食らうなんて珍しいじゃない?」
鏡なんか見なかった。道理でやたら振り返る人が多かった訳だ。
だけど今はそれどころじゃない。
「僕の顔なんかどうだっていい、兄さんは、来ていないのか?」
二人が、顔を見合わせて同じように肩を竦める。
「来てないわよ」
「おい、アルフォンス。八つ当たりはよせよ、ウィンリィに詰め寄るなんて筋が違うだろう」
「・・・・・・っ」
至極尤もなことを言われ、言葉に詰まる。
「っといけない、汽車の時間が。・・・・・・ウィンリィ、薬、ちゃんと飲めよ。朝晩2回、食後にな。あとは、暖かくしてたっぷり寝ること」
「はい、ドクター。承知しました」
クスクスと楽しそうに笑ってウィンリィが手を振る。ピットは本当に時間がないのか、足早にロックベルの家を出て行った。
「さて、と。アル、あんたはお茶を入れて私の部屋に持っていらっしゃい」
僕に返事をする暇も与えず、ウィンリィは階段を上り始める。
大人になった今でも、僕も兄さんもこの幼馴染にはどうしてだか頭が上がらない。
僕は言われたとおりに、勝手をよく知るこの家の台所でお茶を入れてウィンリィの部屋へと向かった。
ウィンリィはまだ風邪が抜けないんだろう、ベッドで上体を起こしてクッションに寄りかかっている。
僕はベッドサイドのテーブルをウィンリィがカップを取りやすい位置に寄せ、そこにお茶を載せる。
「レモンは入れる?」
「うん、入れて」
「砂糖は?」
「ふたつ」
あれほど焦って取り乱していた気持ちが少し、静まる。
ウィンリィの有無を言わせない勢いに、僕らは時々救われる。
「で、どうしたの?あんたたち、昨日のパーティーに出て、今日の昼ごろかえってくる予定だったでしょう?一緒に帰ってきたんじゃないの?」
「僕が・・・・・・兄さんを怒らせて・・・・・・。朝、殴られて気を失ってる間に・・・・・・・・・居なくなってた。家にも、兄さんが帰った気配がなくて・・・・・・」
こうして言葉にしている間にも、心が痛んだ。
たった一つの僕らの家に帰りたくなくなる程のことを僕が、兄さんにしてしまった。
「本当に喧嘩なわけ?あんたたちいつだって、取っ組み合いをしてでもちゃんと解決してきたじゃない。どこかに出かけるとか言ってなかったの?そんな逃げ出すような真似する奴じゃないでしょ、あいつは?」
「言ってたかどうか・・・・・・分からないんだ。その、酔ってて・・・昨夜の記憶がなくて・・・・・・」
「・・・・・・確かにあんた、酒臭いわね」
ウィンリィが思い切り目を据わらせている。声にも凄みがある。
僕は罰が悪くて目を逸らした。
「アル・・・・・・あんたまさか、酔っ払ってエドのこと・・・・・・その、押し倒した、とか?」
ザ・・・・・・ッ
生まれてはじめて血の気が引く音というものを聴いた。
そんな僕の顔色を読み取って、ウィンリィが額を抑える。溜息を吐く。
「・・・・・・バカアル」
「あ、あの・・・・・・ウィンリィ?」
「なんで解ったかって?解るわよ、何年あんたたちと一緒に居ると思ってるの?」
額に当てていた手を下ろして、ウィンリィが僕にまっすぐ向き直る。意を決したように、口を開いた。
「アルが、あいつに惹かれてるってことぐらいとっくに気付いてたわよ。そして、あいつもあんたに惹かれてる」
なんだか信じられないような台詞が次から次へと吐き出されて、どれに驚いて良いのかわからない。
「だけどアルは最近、女の子をとっかえひっかえ遊び歩いてるようだったから。あんまり感心できない方法だけど、それで決着つけたんだと思ってた」
痛むような慈悲にも似た目で、ウィンリィが僕を見る。
「でも・・・・・・アル、あんたそんなに思いつめちゃってたのね」
もう、隠し通せない白を切れないこの人情家で頭のいい幼馴染にはすべてお見通しだ。
「兄さんを失いたくなかったんだ・・・・・・そんな気持ちを持ってるなんて知られたら嫌悪されると思った。一緒に居られなくなると思った。ちゃんと・・・・・・ちゃんと我慢できると思ってた。我慢できる筈だったんだ・・・・・・だけど、朝起きたら・・・・・・兄さんの身体、どう見ても僕がやったとしか・・・・・・」
「朝まではちゃんと居た訳ね。それで?」
言いあぐねる僕を促して、ウィンリィが紅茶をすする。
「・・・・・・嫌われると思って、もう、謝ることしか赦して貰うことしか考えられなくて」
「あんた・・・何を言ったの・・・・・・?」
眉根を寄せて、大事なことを確認するかのように僕を窺う。
「ごめんなさいって謝って・・・・・・抱くつもりなんかなかった、って・・・・・・」
秋の青空のような深い青の瞳がこれ以上ない位に見開かれる。
「・・・・・・アル・・・・・・・・・あんた最悪」
「え・・・・・・?」
「あれだけ女遊びしておいて女心もマナーも学んでなかったの!?やった翌朝‘ごめんなさい、そんなつもりはありませんでした’だなんて、言われたほうは堪ったもんじゃないわよ!アル!?」
「・・・あ・・・・・・・・・」
ものすごい剣幕で僕を怒鳴りつけて力尽きたのか、ウィンリィがよろよろとクッションに沈み込む。
自分が愚かで、あまりにも愚かで自分で自分を殴りつけたくなる。
「しかもエドだって、あんたのこと・・・・・・好きだっていうのに」
深い、溜息。
・・・・・・本当、に?
「とにかく、知り合いに片っ端から連絡を取って手がかりを探しなさい。ちゃんと見つけ出して二人で話し合って。どうするべきなのか、どうしたいのか、自分たちの気持ちと倫理や道徳と、全部並べてちゃんと話し合って決めなさいよ」
少しうつむいて、僕の目を見ないで。
ウィンリィが静かに言う。
「あんたたちの場合、男同士はともかく近親相姦になっちゃうから‘相思相愛よ、おめでとう’とは、苦労することが目に見えてるから諸手を挙げて言ってあげることはできないけど、でも、でもね・・・・・・私だって、あんたたちには幸せに笑っていて欲しいのよ」
それから僕は知り合いという知り合いに端から電話をかけまくった。けれど誰のところにも訪ねては居なくて、兄さんの足跡はなかなか掴めなくて・・・・・・。
とにかく、イーストシティに出ることにした。ホテルのフロントと、駅と。
街に出れば何らかの手がかりが得られるかもしれない。
汽車に乗ったのなら、軍のほうで乗客名簿が取ってあるかもしれない。
何か情報があった際の連絡先になることをウィンリィは快諾してくれた。
中央司令部に連絡をとり、軍のコネを取り付けて街への列車に飛び乗る。
イーストシティの駅で乗客名簿を全方向、全便閲覧させてもらって、ようやく僕は北へ向かった乗客の中に兄さんの名前を見つけた。
必ず、見つけ出すから。
どこまでだって追いかけて、必ずあなたを見つけるから。
兄さん・・・・・・。
僕らはかつて、此の世に存在するかどうかさえも確証のない賢者の石を捜し求めて当てのない旅を続けて。
けれどあの頃はこんなに辛い旅ではなかった。僕の隣には必ず兄さんが居た。
希望を持って、前に進めた。
今僕は、あなたを追い求めて旅に出て。
焦燥と寂しさとあなたへの想いだけを道連れに旅に出て。
あなたという光がないから、ほら、空気は濁って重く世界は輝きをなくして薄暗い。
あなたが乗った汽車より半日も遅れた車内は会話を交わす人気も少なく、活気のなさは僕の焦燥を更に煽る。
まるで、絶望へと向かう列車のように感じて・・・・・・。
気を取り直そうと、僕は資料に目を通した。
効率よく動くために段取りを組まなきゃいけない。
駅に着いたら乗り換えの列車の時刻と行き先を調べて、その町にあるホテル1件1件しらみつぶしに兄さんが宿泊していないかを調べて。
途中下車の可能性は、取りあえず今は考えない。限がなくなって動けない。
立ち止まるわけには行かない。
必ず、見つけ出すから。
どこまでだって追いかけて、必ずあなたを見つけるから。
けれどなかなか兄さんに追いつくことが出来ずに1日、また1日と僕は虚しく時を刻んで。
日に数回ウィンリィに電話をして、知人たちからの情報を頼りにこの国中を右往左往して、回って。
そうして季節はいつの間にか過ぎて風は初夏の香りを伴い寂れた街へ向かうがらんとした車内を吹き抜けて。
生命力のみなぎる季節のはずなのに、あなたを欠いた僕の世界は冬の砂漠のように音もなくただ空虚で。
疲れ果てて、寂しくて。
でも会いたくて。
ただ、会いたくて、あなたに会いたくて。
愚かな僕が傷つけてしまった大切なあなたに謝りたくて、もうどこへも行かないでくれと縋りつきたくて、大切にするから傍に居てくれと縋りつきたくて。
愛していると告げたくて抱きしめたくて。
東へ向かう列車。夜へ向かう列車。
汽笛が近く遠く聞こえる。
すれ違う2本の列車。轟音とともに駆け抜けて。
流れる窓に、光、が・・・・・・!
「兄さん!!」
荷物を放り出して駆け出して最後尾の車両を目指して全力で走り抜けて。
(兄さん・・・兄さん・・・・・・!!)
ほんの一瞬すれ違った窓。でも見間違いなんかじゃない見間違うはずがない。
光はいつもあなたに射してあなたの周りは鮮やかに彩られて。
(兄さんっ!)
走って、走って、走って。
「きゃぁっ!」
「危ないじゃないか、君!!」
ぶつかりそうになった人の悲鳴、怒鳴り声。
ごめんなさい、でも立ち止まれない速度を落とすことは出来ない。
(兄さん、兄さん、兄さん・・・・・・っ!)
大切なんだ大切なんだ大切な人があの列車に乗っているんだ!
そこをどいてくれ、僕の道を塞がないでくれ!
通してくれ邪魔をしないでくれあの列車に兄さんが・・・・・・!!
「お客さん!危ないからやめてください!!」
開いた扉、黒い鉄柵、差し込んでくる濃いオレンジ色。
交わり響いていた轟音が、波が引くようにひとつになってゆく。列車が通り過ぎる。
まだ間に合う、今、飛び移れば間に合う。
あと、少しで!!!
なのに、勢いをつけて踏み込んだ脚に何かが絡みつく。バランスを失い傾いだ身体を次々に押さえつけられて、身動きが取れなくなる。
行ってしまう・・・・・・兄さんが、行ってしまう・・・・・・・・・。
「なんて無茶するんだ、あんたは!」
「事故でも起きたらどうするんだ」
「勘弁してくださいよ、お客さん!」
兄さんが・・・・・・行ってしまう・・・・・・・・・。
席に戻され車掌にくどくど説教されて、次の駅で汽車を降りてそこでもまた散々お説教を食らって。
閑散とした小さな町は闇と夕日の間の白を西の空にわずかに残して。
夕日は兄さんを乗せた列車を飲み込み西の彼方に姿を消して、僕の背中を空っぽの月が冷ややかに嗤う。
『すべてはお前が招いたことだ』と・・・・・・。
兄さんが僕を見ない兄さんが僕の手を取らない兄さんが僕に微笑んでくれない。
兄さんが僕の名前を呼んでくれない。
兄さんが僕を必要としてくれない。
心は深く絶望しているのによろよろと脚は西を目指した。
頭はもう思考を止めてしまっているのに身体ばかりが西を目指した。
あなたを求めて。ただ、あなただけを求めて。
国中を回った。でもいつも僕がたどり着く前にあなたはまた飛び立って。
疲れ果てて。心も、身体も、どうしようもなく疲れ果てて。
けれどその電話が、僕の脚に力を与えた。
「アル、よく聞いて!今朝、ホークアイ大尉から連絡を貰って・・・・・・エドは今、サウス・シティに居るわ。南方司令部に出国許可を申請してる。許可が下りるまでに5日かかるらしいの。申請日が昨日だから、もう少しそこで足止めされるはずよ!」
「・・・サウス・シティ・・・・・・?」
「そう!すぐにホークアイ大尉に連絡して最寄の駅を言うの!切符は抑えてくれるそうだから。国外になんか行かれちゃったらますます捕まえられないわよ!」
まったくその通りだ、アメストリス国内に居てさえ追いつくことが出来ないんだ。
ここで、捕まえないと後はない・・・・・・。
僕はウィンリィに礼を言うと、すぐさま中央司令部に電話をかけた。
駅に駆け込むと既に手配は済んでいて、窓口で名前を告げ身分証明を見せるとすぐに切符を渡された。
乗り込んだ途端僕の背後で扉が閉まり汽笛が鳴る、ゆっくりと汽車が走り出す。
待っていて。
お願いだから待っていてくれ、兄さん。
お願いだから・・・・・・。
南の街は同じ7月でもまるで真夏で、家から着て出た上着はトランクの中でくしゃくしゃに丸まっている。
僕が居た北西の町からここまで2日掛かった。
今日がリミット。出国許可が下りたらまた、兄さんは旅立ってしまう。
焼けた石畳の向こうに、その重厚な建物が見えた。
南方司令部。
軍事国家のここ、アメストリスでは、出入国管理も国営施設の管理もすべて軍が執り行う。パスポートやビザの発行も。
その石造りの建物の中、出入国申請部の部屋の中に・・・・・・兄さんは、居た。
壁に背を預けて俯いて。
少しやつれた頬。目を閉じて、何かを堪えるような表情。
僕はそっと近づいて。
驚かさないようにそっと近づいて。
そっと・・・・・・腕の中に閉じ込めた。
「やっと会えた・・・・・・兄さん」
驚いて大きく震える細いからだ。
困ったみたいに、泣きそうにゆれながら見上げる金の瞳。
「・・・・・・アル・・・?」
「行かないでよ・・・・・・もう、どこにも行かないで帰ってきてくれよ、兄さん」
僕の声は情けなく震えて。
「おまえ・・・・・・どうして?」
そのとき、窓口で女の人が立ち上がった。
「エルリックさん。エドワード・エルリックさん」
僕は兄さんを抱きしめる腕に力を入れて。
「すいません、それ、取り消してください!」
「アル?」
必死で叫んで。ただもう、必死で。
「あ、いえ、それがですね・・・・・・申請が許可されなくって・・・・・・」
罰が悪そうに女の人が小声で答えて、僕はそんなことをしてしまえる人たちに心当たりがあって。
兄さんは訳がわからなくて、見開いた目で大きく瞬きをしていた。
昼休みが終わったばかりの司令部の中庭は人気も少なく、建物が影を射すベンチに僕らは腰を下ろした。
ここまでずっと、兄さんの手を離さなかった。離したらまた、どこかへ行ってしまうような気がした。
「兄さんが、好きです。鎧の体のころからずっと・・・・・・あなたが、好きです」
言ってしまうことに躊躇いはあったけど、ちゃんと言わないと僕が何を兄さんに謝りたいのかも伝わらないと思った。
「兄さんが好きで、ずっと傍に居たくて、僕はいろいろ間違えた」
この気持ちを知られたら一緒に居られなくなってしまうと思って、間違いを犯した。
「あの時謝ったのは、兄さんが怒ってると思ったから。傍に居られなくなると思ったから。
そんなつもりじゃなかった、って言うのも同じことだった。兄さんの傍に居させてもらうことしか考えてなかった。だけど、その言葉が兄さんを傷つけた・・・・・・会いたかった。寂しかった・・・・・・帰ってきて、僕を嫌いでもいいから、あの家に帰ってきて」
兄さんが、ゆるゆると首を振る。僕の心が絶望に凍りつく。
「嫌いになんか、なれない・・・・・・。俺・・・・・・アルが後悔してるんだと思って。お前に抱かれて朝までそこで寝てた俺のこと、気持ち悪いと思われたんだとおもって。俺、女じゃないし・・・・・・」
「違うんだ、ちがう・・・・・・。ごめん・・・・・・全部、僕が悪い」
「国中回ったけど、どこにも居場所がなくって。どこに行っても、お前との思い出があって・・・・・・寂しくて、お前に会いたくて、帰りたくて・・・・・・・・・でも、帰れなくて」
「ごめん、ごめんなさい兄さん・・・・・・帰ってきて。お願いだから、帰ってきて」
抱きしめてすがり付いて子供のように声を震わせて・・・・・僕は必死で。
「・・・・・・いいの、か?俺、お前の傍にいても・・・・・・いいの、か?」
「居て、僕の傍にずっと居て。ずっと、兄さんに恋をしてた。キスしたかった抱きたかった。恋人に、なりたかった。でも、それが叶わなくても、ずっと傍に居たかった・・・・・・帰って、来てくれる?」
生身の左手と機械鎧の右手、両方をしっかり握ってたずねる僕に、兄さんは小さくそっと頷いた。
東へ向かう夜汽車の中、僕らは並んで腰掛けそっと手を繋いで。
窓の外には欠けた月。
見せ付けるように僕らはキスを交わした。
END