『 磨り硝子の玩具箱 』
「だって・・・世界は矛盾しているんだ・・・・・・・・・」
うつむいて静かな声で、兄さんが悲しそうに笑う。
僕らはそっと手を繋ぎ互いの頬に兄弟のキスでそっと触れた。
霧深い森の朝の湿った空気が肺の中に重く沈んで溺れてしまいそうで・・・・・・絡めた指に力を入れた。
『愛する人と結ばれなさい』
世界は人々にそう説くのに、大人たちは僕らに結ばれてはいけないというのです。
失っては生きていかれないそのひとと、自分の命よりも大切で愛しいそのひとと。
結ばれてはいけないというのです・・・・・・・・・それは罪だというのです。
それは罪だ、と、大人たちが言うのです。
僕らはかつて、ひとつの罪を犯しました。
罪を犯して開いた扉に僕の身体と兄さんの脚を呑まれました。
この森を覆う霧のような白くてどろりとした闇の中に、兄さんの左脚とともに僕は囚われてしまいました。
兄さんは自分の腕をさしだし扉を開き、僕の魂を呼び戻してくれました僕の心は兄さんとともに在ることが出来ました。
僕らの心は精神は溶け合い混ざり合い、ひとつのものでありました。
扉の向こうに取り残された僕の肉体は、兄さんがはぐくんでくれました。兄さんが生かしてくれました。兄さんが守ってくれました。
眠りも糧も成長もすべて。兄さんが僕に分け与えてくれました。
その深い愛に想いに、替わるものがいったい何処にあるというのですか。他の誰を愛せるというのですか。
こんなにも深い愛を注いでくれる人が居るのに、他の誰に心惹かれるというのですか。
こんなにも深い愛がここにあると知っているのに、他の誰を愛せるというのですか。
こんな無償の愛を惜しみなく注いでくれるそのひとを兄さんを・・・・・・どうしたら愛さずに居られるというのですか。
僕の欠片であるその人を・・・・・・どうしたら愛さずにいられるというのですか。
僕らはただ・・・・・・ただ完全に、ひとつのものに‘戻りたい’だけなのです・・・・・・・・・。
取戻したこの手で。触れたものの温かさや柔らかさを知ることのできるこの手で。
その温もりをその肌の滑らかさを・・・・・・知りたいのは確かめたいのはただ一人のひとだというのに・・・・・・・・・。
だのに。
その肌に触れることは罪だと、大人たちが言うのです。
この肉体を取り戻す為に兄さんの手足を取戻す為に。
僕たちは長い長い旅をしました常識では語ることの出来ない未知の敵とも戦いました。
悲しい思いもしました辛い思いもしました優しい人たちを何人も失いました。
身近な人たちが大切な人たちが傷つくのがいやで失うのが怖ろしくて、僕たちはただひたすらに強くあろうとしました。
ただもうがむしゃらに戦いました何時まで続くのかも判らない戦いを。
魂の拒絶反応という恐怖と、常に、戦いながら。
戦いを終えて旅を終えて。
僕たちはすこし、戦いに疲れました。
僕たちは失うことに臆病になりました。
罪を犯すことに・・・・・・・・・臆病になりました。
だってもう、失いたくはないのです。
もうなにも失いたくはないのです。
僕らを取り囲む人々も世界も何一つ欠いてしまいたくはないのです。
この愛しい人の微笑みも繋いだ指のぬくもりも頬を撫でる穏やかな風もひりつくような渇きも、この纏わり付く霧の重さすらも。
それらすべての感覚をもたらしてくれるこの生命としての活動を続ける肉体も。
時折僕の胸に耳をあて、鼓動を確認しては浮かべる兄さんのその幸せそうな笑みも何もかも。
もう何も、なにも手放したくはないのです。
ああ、けれども。
僕のいのちがまた危険に晒されたなら、この愛しい人は兄さんはまた、簡単に自分を投げ出そうとするでしょう。
そして僕も、兄さんが危険に晒されたならこの身を盾にしてもその愛しい命を守るでしょう。
だから僕は罪を犯すことに臆病になりました。
だから僕らは罪を犯すことに臆病になりました。
失わないように。
お互いを失うことがないように。
もう何も失ってしまうことがないように・・・・・・・・・。
けれど愛しているのです兄さんを愛しているのです。
兄さんも・・・・・・僕を愛してくれるのです。
触れてしまいたいのです触れられないのですその罪が僕らから今度はなにを奪おうとするのか。
それが怖ろしくて愛する人に触れることが出来ないのです。
僕らは同じ血を分けて、同じ色の瞳を持って同じ色の髪を持って。この身体を作る遺伝子を共有して。
愛する人と同化する悦びが同じものを分かち合う喜びが。
僕らが結ばれてはいけない理由となるのです。
悲しいのですそれが悲しいのです僕らはひとつのものであるのに同じひとつのものであるのにひとつに戻ってはいけないというのです。
完全なひとつのものにもどることが許されないというのです。
悲しいのです。僕らはそれが悲しいのです。
そして大人たちも悲しい顔をするのです。
僕らは誰にも何も告げず、二人で街を離れました。
磨り硝子のような白い霧がすべてをそっと包み隠す深い深い森へと僕らは入ってゆきました。
暗いくらい森の中を手を繋いで歩きました。昼も夜も。
そこかしこに生えた苔が月明かりにぼぅと光って僕たちの足元を照らしました。
まるで僕らをいざなうように迎え入れるかのようにぼぅと光って足元を照らしてくれました。
たとえその肌に触れなくともこの身体を繋いでしまわなくとも。
僕らが抱く思いそのものが罪であるのだと僕らは知っているのです。
けれど森は僕らをいざなうように迎えるように人々の目からやさしく匿ってくれるかのように。
罪深い僕らを赦すように。
その穏やかに照らされた絨毯の上を安堵にも悲しみにも似た気持ちで進みました。互いの足元に気を配りながら静かに進みました。
ひやりとした風が吹く森の奥へと手を繋いで進みました。
深い森が小さく切り取られた其処に、小さなちいさな泉がありました。
霧の向こうに月がぼんやりとありました磨り硝子越しに見るような静かなしずかな輝きでした。
ここに居ても良いのだと、月が森がいっているように感じました。罪深い僕らを赦すみたいに。
僕は兄さんの顔を見ました。
兄さんも僕の顔を見ましたしずかにきれいに笑いました。
僕らはここに家を建てました玩具箱のような小さな家を建てました。
僕らはここでこの玩具箱のような小さな世界で。
人形のようにしずかに綺麗に息を潜めて。
罪に怯えながら失うことに怯えながら。
静かに・・・・・・時をつむいでゆくのです。
僕らは、白い服を身につけました示し合わせたわけでもなくお互いに白い服を選びました。
小さく切り取られた森の、小さく切り取られた空たかくに太陽が顔を覗かせました。
すべてを多い尽くしていた白い霧はきらきらと光を弾きながら消えてゆきます。
小さな小さな泉のほとり、僕たちの足元には一面に白い花が咲いていました。
さまざまな形のさまざまな種類の、けれど一様に白い、しろい花が咲いていました。
僕はその花を手折り兄さんの髪を飾りました兄さんが綺麗に笑いました。
きれいに笑って、兄さんも花を摘んで僕の胸元に添えました。
嬉しくて、笑って、兄さんを見詰めました。
嬉しくて笑って互いの身体にゆるく腕を回して。
僕たちは家族の抱擁を交わしました。
僕たちはここで幸せでした。
悲しくても幸せでした。
僕らはここでこの玩具箱のような小さな世界で。
人形のようにしずかに綺麗に息を潜めて。
罪に怯えながら失うことに怯えながら。
静かに・・・・・・時をつむいでゆくのです。
誰の目にも触れずにしずかに。
時をつむいでゆくのです。
END