『 青い空に羽ばたく鳥の 』












『無理強いなんて、野蛮な真似はしない』
 アルフォンスが、自分の発した言葉通り紳士然と俺の後ろをついて歩く。
 背後から射す南部の夕陽は熱を孕み、遮るものの無い荒地を歩く俺たちの影をひび割れた大地に黒く刻む。雨季には水を湛えていたのだろう痕跡を残す枯れた川は、幾筋もの文様を浮き上がらせては蛇行している。


 どこかに町は見えないだろうかと、顔を上げて目を凝らした。
 地図に記された川辺の町がそろそろ見えてきてもいい頃だというのに、どこかで方角を違えたのかそれらしき姿はいまだ見えては来ず、岩肌をむき出しにした荒々しい山のみがまばらに続いている。
 乾ききった土色の山肌に紅を差しながらも空はどこまでも深く青い。
 せめてスコールでも、と、振り仰いだ其処はただひたすらに広く一点の曇りも無く。



 大きな鳥が、羽ばたいて過ぎる。
 こんな熱い風吹き上げる空さえ物ともせずに、力強く。



 その姿に俺は、いつか巣立ってゆく弟を重ねる。
 いずれ見送ることになるだろう、その背を重ねる。
 今はただ無言で俺の後ろを歩く、成人して尚巣立とうとしない弟のアルフォンスを。
 離れていく日を思うと身を切られるように痛むのに、いつまでも怯えて暮らすならいっそ、たった今にでも俺のことを切り捨てて行ってくれればいいのになどと、昔から変わらない女々しさが情けなくて歯噛みする。

 置いて行けばいい。お前はお前の幸せな未来へ、俺のことを振り返らないで。
 でないと、溢れてしまうから。



 置いて行かないでずっと傍にいて抱きしめて。



捨ててしまわなければならない思いが込み上げて出ようとあがいて、俺は黙ってそれを沈める。
 捨てても、何度捨てても性懲りも無く生まれ出るこの歪んだ想いに、今はただもう押し殺して封じることしかできなくなって。

 項垂れて落とした足元から伸びる影にかぶさるように弟のそれが重なって、この強い日差しを背後から受け止めていてくれたのだと知る。
 背の高い弟が、俺を守るみたいに。
 苦さと甘さがない交ぜになって咽喉をふさぐ。

 やめてくれ・・・・・・頼むから。弱くなるから。

 当たり前の幸せにお前を送り届けてやらなければならないのだから。
 当たり前に、でも、誰よりも他の誰よりも幸せな未来に。
 俺はお前を送り届けてやらなければいけないのだから。










 町はおろか水場に出会うことも叶わず、俺たちは錬金術で簡単に風よけの壁をしつらえ、荷物を降ろした。
 雲ひとつ無い満天の星空は美しくも容赦なく、急激に大地から温度を奪い去る。
 焚き火をしようにも燃やせそうなものは拾い集めた一抱えほどの枯れ草ばかりで、半刻さえももちそうに無かった。
「それにしても一気に冷えたね。陽があるときはあんなに暑かったのに」
 放射冷却。知識として持っていたことでも、実際に体験するといかに己の認識が甘かったかを思い知らされる。
「ああ、そうだな」
 わずかな水で茶を沸かして、トランクに放り込んであったビスケットで侘しい食事を済ます。ため息を押し殺して地図を広げると、横からアルフォンスが覗き込む。
「明日の夕方までには町につけそうだね。・・・・・・・・火も消えそうだし冷えてきたし、今日はもう寝よう?」
 そう言って、荷物の中から毛布をひっぱり出す。

 ああでも、そんな毛布一枚じゃ寒いだろ、アル。

 俺も自分のトランクを空けて毛布と、このあたりの暑さで使う用の無かったロングコートを取り出した。
 こんなもんでも少しはましだろうと差し出すと、毛布ごと攫われた。
 手早い動作で毛布二枚とコートを重ねた中に、腕を引いて引きずり込まれる。
「な・・・・・っ!?」
「この方があったかいでしょ」
 背中から包み込まれるみたいに抱きしめられた腕の中は、アルの言うとおりポカポカと温かい、が。
「・・・・・・・・・なんか・・・当たってる」
「そりゃあ、最愛の人が腕の中に居るこのシチュエーションではある意味当然の身体的反応なのでいた仕方なく」
 くすくすと笑うその声が耳元で鈴のように転がって、心臓が大きな音を立てて跳ね上がって。
「ややややっぱ別々に寝よう」
 慌てて毛布から脱け出そうとして更にきつく抱きしめられる。
「寒いから、ヤダ」
 俺の頭に額を擦り付けいやいやをする、子供っぽいしぐさ。
「大丈夫、何もしない。ただくっついて眠るだけ」
 そっと腕の力を抜いて宥めるような優しい声音で。
「なにも、しないから」
 ただ優しく、包み込むような。
「・・・・・・・おやすみ、兄さん」
 笑みを含んだ、柔らかな声で。





 それから間も無く、髪に触れていた吐息が穏やかな寝息に変わったけれど、俺をすっぽりと包む体温も掠めていく吐息も何もかもが胸を甘く苦くかき乱して、眠れない。
 まるで早鐘のように心臓が鳴ってどうやって息をすればいいのかさえも解らなくって。


 熱が、出そうだ。


 この腕の中で人生の終わりを迎えられるならきっと、この上なく幸せなのだ、俺は。
 いけないのに。そんなことを望んでしまってはいけないのに。
 だってこの腕は、正しく幸せを抱くべき腕なのだから。

 なのに甘くて・・・・・・・・・どうしようもなく甘くて。
 どうか。今だけは、どうか。

 ただひと時の、この至上の宝のようなぬくもりを未練がましく肌に刻む。
 触れて欲しいなどという愚かな願いを必死で必死で、押し込めながら。








 その心地よい体温に酔ってしまいそうな自分を責めて眠ることもできずに、月が星が沈み、朝日が昇るのを見ていた。









 陽が高くなるにつれまた地面は熱を孕み、枯れ果てた大地は光をきつく跳ね返す。
 寝不足の肉体は疲弊して重く乾き、まるで愚かな俺への断罪のようだと思った。


 ああ、そうだ・・・・・・・これは俺には似合いの地獄だ。


 熱い・・・・・・全身が焼かれているみたいに熱くて、苦しいのに心は落ち着き、安堵すら覚えた。

 罰してくれ。

 弟の幸せを望みながら、それでも愚かな想いを捨てきれずにいる愚かな俺を罰してくれ。
 焼き尽くして、灰にして、俺の存在など最初からなかったみたいに何もかも奇麗に消してくれ。


 アルの記憶からも誰の記憶からも、なにもかも・・・・・・・・・。


 そうすれば、俺という穢れが消えてしまえば、アルは一点の曇りもなく綺麗なまま幸せになれるから。アルが口にする世迷いごとも何もかも忘れて、ただ幸せに。
 だから焼き尽くして灰すらも残らないくらいに、熱く。

 熱い・・・・・・・・・・熱い・・・・熱く、焼き尽くしてこの足元の土塊に還して。

 頭上から真っ直ぐに降り注ぐ陽射しがチカチカと眼前で回り踊る。
 咽喉がしきりと渇きを訴えるのを無視して、目の前を歩く広い背を見上げる。

 愛しているよ、アル。
 これまでもずっと、これからもずっと。
 灰になって消えても、砂になって散ってもずっとずっと、お前のことを愛しているよ。

 もうすぐだから。
 お前を町まで送り届けたら俺は、この土塊に還るから。俺という穢れからお前をちゃんと開放するから。
 俺という存在がすべてこの世界から消えてもずっと・・・・・・・俺はお前を護るから。
 愛しているから。大切だから。お前の幸せが何よりも一番大切だから。

 愛してるよ。愛してるよ。ずっとずっと、愛しているよ。



 俺という存在が消えることで、お前は真っ直ぐに、幸せが呼ぶほうに歩いていくことができるのだから。



 目の前の景色が、チカチカと点滅する。赤に染まる。
 手元でドサリと重い音が土塊に沈む。
 すべてが赤く染まる世界の中、ぼんやりと浮かんだ背の高い影がコマ送りのように俺を振り返る。
 それはとてもとても愛しいものの姿。


 愛しているよ・・・・・・・アル・・・・・・・・・・・・・。



 血のように赤く世界は塗り替えられて静まり返る。
 浮遊感の中、光も音も遠ざかり・・・・・・・・・・・・消えた。

















 乾ききっていた口内を液体が潤す。
 無に還ることを望んだ心を裏切るみたいに、肉体は注ぎ込まれた水を貪る。柔らかな感触が唇に触れ、離れ、水が注ぎ込まれるたび貪欲に。
 生きることへの執着を手放さずに、与えられる水をもっと、もっと・・・・・・・・・と。
 乾いてるんだもっと欲しいんだ・・・・・・・・・もっと。

 生きることに執着を止めない鉛のように重い腕が、縋るものを探して迷う。

 乾いているのに、暗い水の底で溺れているみたいにただ闇雲に縋るものを求める手を力強く、掴まれた。
 まるで水の中から引きずりあげられるみたいに、力強く抱きとめられて・・・・・・・・現実とも夢とも幻ともつかずに、俺はゆっくりと目蓋を上げた。
 ぼんやりと映ったのは不安げに揺れる金の瞳。

「ア・・・・・・・ル・・・・・・・・・・・・・・」

 つぶやいた名前は上手く音にならず咽喉にからんだ。
 自分が、アルの膝に抱きかかえられているのだと、上手くまとまらない思考でようやっと理解した。

 アルが、手にしていた水筒から勢いよく水を呷る。
 俺を真っ直ぐに見据えたまま顔が近づき唇が重なり、差し込まれた舌を伝って水が、流れ込んでくる。
 ずっとこうやって水を与えられていたのだと理解して、いけないと思うのにこの腕から抜け出せなくて困惑しながら、口の中の甘い液体を飲み込んだ。
「兄さん・・・・・・・・」
 強く掻き抱かれて苦しそうに名前を呼ばれて、結局、弟には心配をかけてしまっただけなのだと、自分の愚かさと底の浅さにあきれ果てて、途方に暮れる。
 当たり前だ。そんな都合よく消えうせることなんて出来るわけがない。
「良かった。目を覚ましてくれて、良かった・・・・・・・・・」
 俺の愚かしい思惑も知らず、まるで大切なもののように俺を抱きしめるアルの腕が、切なくて辛い。
「ごめん・・・・・・・」
 何もかもがただもう申し訳なくて、優しい弟に謝罪をした。ふわりと、俺を抱きしめていた腕から力が抜けた。
 どこまでも優しい抱擁。
 温かくて切なくて心地よくて、このままずっとこの腕の中に身を置いてしまいたい誘惑にかられそうになって、慌てて自分を戒める。
「いいんだ・・・・・・・・・それより、大丈夫?辛いところはない?」
 やわらかく微笑みながらゆっくりと回していた腕を解き、怪我は無いかと俺を気遣う。
「大丈夫、どこも傷めたりはしてないよ」
 そう言って立ち上がったものの、足がふらついて倒れこみそうになったところを抱きとめられる。
「無理はしないで・・・・・・・って言いたいところだけど、ここじゃあ日陰もないから消耗するばっかりだ。少しずつでも先に進も・・・・・・・・・・・・・・・・・あれ?」
 言葉を切って遠くを凝視する弟の、その視線をなぞると、黒い影が揺れていた。
 蜃気楼のようにも見えたそれはゆっくりと近付いて、荷馬車の姿を示した。御者もこちらを見つけたらしく馬を御してわずかに進路を変え、俺たちに向かって寄ってくる。
「やった・・・・・・助かった!」
 嬉しそうに声を上げ、アルがまた俺をきゅっと抱きしめる。
 こんな状況だっていうのに、胸がドキドキと高鳴って、困った。




「あんたら馬も使わずに来たのかい?地図?ってこりゃずいぶん古いな、この川は15年前の大雨で流れが変わっちまってる。町はもっとずっと西だよ」
 俺たちを拾ってくれた商人の親父さんは町へ仕入れに行く途中だとかで、徒歩でこのだだっ広い荒野を越えようとした俺たちに唖然とした顔で語った。
 幌のかかった荷馬車に詰め込まれ、アルと親父さんが言葉を交わすのを聞いているうちに、ガタガタという揺れを心地よく感じながら眠りに落ちていった・・・・・・・・・らしい。









 どれだけ深く眠っていたのか目覚めたときには宿屋の一室。寝起きでボーッとしている俺の目の前に、アルフォンスが食べ物や飲み物を次々と並べてゆく。

 ああ、そういえば昨夜は碌に食事も摂っていなかったなと、差し出されたサンドイッチに口をつける。
「アル、お前食べないのか?」
 目の前でニコニコとしながら俺を見ているアルを不審に思って声をかける。
 身体を取り戻す以前の、あのころには日常だった光景。
 でも、今は違う。今のアルは血の通った生身の身体で、睡眠もとるし食事もする。
 それとも、俺が寝ている間に済ませたのだろうか?それなら問題は無いのだけれど。

 ことさらに甘い顔で、アルフォンスが、笑う。

「だって、まだ兄さんの唇の感触が残ってるから、もったいなくて」
 長い指を唇の下に当てて目を細める。その仕草が色っぽくて、困る。
「何馬鹿なこと・・・・・・・っ」
 困る。そんな顔でそんなこと言われたら・・・・・・・・・。
「馬鹿なことじゃないよ。どれだけ僕があなたのことを好きだと思ってるの?」
 うっとりとするような、でも、諭すような声音で。
「愛してるよ、兄さん」

 困る・・・・・・・・・・そんなのは困る。

「・・・・・・・・・・でも、人の気持ちなんて変わるもんだ」
 与えられた言葉の甘さが苦しくて、どうしたらいいかわからなくて逃げ出してしまいたいけれど、何とかそれだけ搾り出して。
「そうだね・・・・・・・・・だから、いつか兄さんの気が変わって僕の手をとってくれるようになるまでゆっくり待とう・・・・・・って思ってたけど、やめた」

 小さな溜息と共に零れ落ちたその言葉は、とても正しくて俺が望んでいた言葉だったはずなのに、どうして心は凍り付いてゆくんだろう?

「なんて顔してるの」
 くすくすと笑いながらアルは立ち上がって、ベッドに座っていた俺の隣に腰を下ろす。
 どこの色男だというような仕草で、俺の腰を片手で抱く。
「な・・・・・・っ、お前何・・・・・っ!?」
 慌てふためく俺の顔を上目遣いに覗き込んで、声を落として可笑しそうに。
「覚えてない?兄さん、倒れる瞬間に言ったんだ。僕を見て‘愛してる’って」
 目を瞠って硬直する俺に目を細め、目尻に唇で触れてゆく。
「なっっ!言わない!そんなこと言わない言ってないっ!」
 腕から逃げ出そうとじたばたもがいても脱け出すことは叶わずに、キュッと背中から抱きしめ絡め取られて。
「言ったよ・・・・・・・言ったんだ・・・・・・・・だから、生きた心地がしなかった」


『俺が死ぬ間際にまだ、お前が俺を好きでいられたら信じてやるから、そん時にはキスしてくれよ』


 あの日の俺の言葉を思い出したのか、不安を食み返すように肩口に顔を埋めるアルの指先を温める。手のひらをそっと重ねて。
「ごめん・・・・・・・・・・・」
 不安にさせてごめん。俺の居た痕跡をお前の記憶からすべて消し去ることもできずに俺だけ消えようなんて、思って、ごめん。
「ぞっとした。兄さんを失うかと思ったら・・・・・・・・・・・・」
 ごめん・・・・・・ごめんな、アル。
「嫌だよ、僕を置いて居なくなるなんて、嫌だ」
 俺の髪に頬を寄せる、むずかる子供のような、弟の仕草。
「ごめんな・・・・・・アル」
「嫌だ・・・・・・どこにも行かないで」
 いやいやと、かぶりを振るさまが子供のようで。心細い迷い子のようで、切なくて、いとおしくて。
「ああ」
 いとおしくて。
「約束して・・・・・・・・・」
 愛しさがこみ上げて溢れかえりそうになって。
「ああ、約束する・・・・・・・・・」
 しがみつく指先をそっと握りこむ。転げまわって遊んだ子供の頃みたいに頬ずりをされて、こそばゆくて、胸の中が温かくなる。
「嬉しい」
 本当に、ほんとうに嬉しそうな声で弟が言って、頬にチュッとキスをされる。

 啄ばむみたいに、なんどもなんども。




 ・・・・・・・・・・・・・・あれ?




「愛してるよ、兄さん。ずっとずっと、一緒にいようね」
 えっ・・・・・・なんか流れがおかしくないか?
 あれ?え?えっ?
 なんだかまだ頭が上手く回らずにパニック気味の俺の頬に、飽きもせずに弟はキスを繰り返している。
「ちょちょちょ・・・・・・・・・待て!お前っ!?」
「離れないって、約束した」
 得意気に言って、耳たぶにキスをする。
「だっっ騙したな!」
「騙してなんかないじゃない」
「なっ、ならあれだ、ハメやがって!!」
 もがいても暴れても、がっちりとホールドされていて抜け出せない。
「両思いなのに」
 暴れないでじっとして、と、耳元で吐息交じりに囁かれて尾てい骨まで電気が走る。
「駄目だだめだダメだ!お前、道徳とか倫理とかっっ!」
 駄目だ、ここでじ押し切られたらとても駄目だ。
「愛の前には無力」
「無力じゃない!俺が証明してみせる!だ、だいたいお前、無理強いはしないって!!」
 一瞬、腕が緩んだのでその隙に脱け出そうと試みたものの、その隙もなにも隙なんてものはどこにもなく、俺にはこれが精一杯かと鼻にしわを寄せて睨み上げる。
「うん、そうだね。無理強いはしないよ。ただ・・・・・・・・・全力で口説き落とす」
 そう言って笑って、あろうことか唇の端を掠めてゆく。




「・・・・・・・・・!!」




 視線の先、窓の外の梢で遊んでいた小鳥が二羽、何かに気づいたそぶりで青い空に飛び立つ。


 ちょっと待て、俺も連れて行け。
 ここに居たらヤバイ。こいつと一緒に居たら本当にやばいから。



「愛してるよ、兄さん・・・・・・・・・暴れてても可愛い」




 よりいっそう深く抱きしめられて、その腕の温もりがヤバくて。

 けれど俺だけでもちゃんと理性を保たないとと自分に言い聞かせながら、飛び去った鳥達に悪態をつくくらいしか、俺の抵抗は敵わない。









END