『 異郷の地にて 』
けたたましい足音が古びたアパートの階段を一足飛びに駆け上がり、まるでぶつかるような勢いでドアが大きく開かれた。
クソ親父め、また鍵も閉めずに出かけやがったな。
うんざりする。
『お前がいるのならいいじゃないか、鍵くらい』
などとのらりくらりと戸締りに無頓着な親父にも。
「迎えに来たよ、エドワード!帰って来たのならどうして連絡してくれないんだ?水臭いじゃないか!」
うんざりだ、何度追い払っても懲りないこの男にも。
「俺はお前なんか待っていないし会いたいとも思わない。ましてや約束なんかした覚えもない。帰れ、ミューラー」
「相変わらずつれないなぁ、僕はこんなに君の事を愛しているっていうのに。いい加減名前で呼んでくれても良いんじゃない?ねえ、エドワード」
「断る」
知覚していたのに反応が遅れた。顔を見ずに話していたこの男に肩を引き寄せられて向き直させられる。
「あの時みたいにちゃんと名前で呼んでよ‘アルフォンス’って」
俺を抱きしめてキスしようとするのを今度はちゃんとかわして、その頭を押し退ける。
この顔だけは、未だに殴れずにいる。
遠い記憶の中の弟が、そのまま育ったようなこの男の顔だけは・・・・・・。
俺がアメリカに渡ってもとの世界に戻る方法を探している間に。外国からの留学生だというこの男‘アルフォンス・ミューラー’は親父のもとに出入りするようになっていたらしい。オカルトに傾倒する連中の間でカリスマと称されるホーエンハイムの元に。
ろくな手がかりも得られずに戻ってきたアパートの扉を開いてこの男の姿を見て、そんなわけないのに俺は夢中で抱きついて、お前であるはずがないのにその胸で泣き崩れてしまった。不覚にも。何度も何度も、名前を呼んで。
この世界に、お前が居るわけなんて、ないのに。
「あれは人違いだった。ちゃんとあの後謝っただろう」
「間違いなんて誰にでもあるし、そんなことはどうだっていいんだ。一目惚れだったんだよ、ドアが開いたときには失望したような顔をしていた君が僕の顔を見て、花が咲くみたいに表情を輝かせて微笑んで。泣いた顔さえも綺麗で、あれで恋に落ちないほうがどうかしている。ねぇ、どうか名前を呼んでおくれよ。愛しているんだ、エドワード」
やめろ、その顔で愛してるなんて言うな。俺のアルフォンスと同じ声で愛を語るな。
俺はそのエメラルドの瞳をしっかりと睨み付ける。
そう、瞳の色が俺のアルフォンスと、この気障野郎との絶対的な違いだ。
「ああもう、またそんなに眉間にしわなんか寄せて!よしなよ折角の綺麗な顔が台無しじゃないか」
「いい加減にしろ。お前のその目は節穴か?お前には俺が女の子にでも見えるのか?」
「男か女かなんてたいした問題じゃないさ!僕の爺さんの故郷のフランスじゃ珍しくもなんともない。爺さんだって、ばあちゃんと出会うまではバリバリの男色家だった。僕は男に惚れるのは初めてだけど、こんなに好きになった人は君だけだ。朝から晩まで君のことばかり考えているよ、君を抱きしめたい、君にキスしたい、この腕に閉じ込めて1日中だって愛を囁き続けたい。愛しているんだ、愛しているんだ。君は僕の運命の人なんだ、エドワード!」
うんざりだ、もううんざりだ。その顔でその声でそんなに一生懸命愛を告げるな。その言葉に心乱されそうになる自分にも、うんざりだ。
「生憎だがそれはお前の勘違いだ、ミューラー。俺はアンタの運命の人なんかじゃない」
「エドワード、怒った顔も魅力的だけどね。・・・・・・でも、勘違いでもなんでもないよ、君の運命の人も、僕だ」
ミューラーの声のトーンが少し、下がる。耳打ちするような声で。
「ふざけるな」
「ふざけてなんかいないさ。エドワード、君は実の弟に恋しているんだろう?僕と、同じ顔をした君の弟を」
言葉を失った俺に、ミューラーは更に追い討ちをかけてくる。
「だけど君は‘ここ’へ来た。僕の前に現れた。僕と出会うことこそが、君の運命だったんだ」
「違う違う違う!」
俺たちは互いを自分の半身として。強くて深い絆で結ばれて。お互いに、自分の命だってすべて与えてしまるくらいに、相手の命がいとおしくて。
「君は、彼と僕を間違えただけだ」
「違う!黙れ!帰れよ、帰れ!もううんざりだ!帰ってくれ!」
機械鎧の手足がうまく動かない。この男の言葉を聴きたくなくて、耳をふさいでしまいたいのに右腕が上がらない。殴り飛ばしてしまいたいのに腕が上がらない、殴れない、この、アルと同じ顔をした男を。
「僕を好きになれよ、エドワード。そのほうが良い。そのほうが良いんだ、君にも」
手首を捕まれて引き寄せられる。反射的に見上げた宝石のような瞳が深い色を湛えて凪いでいる。
この男はきっと、知っているのだ。
アルが、向こうの世界でちゃんと生きているのかどうかすらも判っていないこと。
俺ががむしゃらに、元の世界に扉の向こうに戻る方法を捜し求めて、それでもまだ何の手がかりも得られていないこと。
親父から聞いているのかもしれない、聞いていないかもしれない。でも、きっとこの男は知っているのだ。
「嫌いだ・・・・・・お前なんか、嫌いだ」
声が震えてしまうのが悔しくてたまらない。
情けなんか掛けて欲しくない。
俺の弱い部分をやさしく包み込むのはアルフォンス・エルリックただ1人でいい。俺を抱きしめる腕はアルフォンス・エルリックの腕だけでいい。あたたかな生身の腕でも、温度のない鎧の腕でも。
唇を噛んで、こみ上げてくる熱いものを無理やりに飲み下して。
「・・・・・・嫌いだ」
ミューラーは溜息をひとつ落とすと、仕方がないというように小さく笑った。
「君を泣かせたいわけじゃないんだ。・・・・・・仕方がない、今日は帰るよ」
「もう、来るな」
やっと帰ってくれるとうっかり気を緩めた隙に、キスをされた。
「また来るさ。僕は君を諦めない」
凍り付いて動けないままの俺を離して、ミューラーがドアノブに手を掛ける。
「愛しているよ、エドワード」
そっと扉が閉まり、部屋が静寂を取戻す。
俺は、力の抜けた身体を支えきれなくてその場にへたり込んでしまう。
帰りたい。アルに会いたい。
会いたいよ、お前に会いたい。
アル、アル、アル・・・・・・。
傍に居て、抱きしめて。
‘兄さん’って呼んで抱きしめて。
俺をたすけて。
帰りたいよ、アル。
会いたいよ、会いたい。会いたい・・・・・・。
下を向いたら、床板に小さなしみが出来た。パタパタ、と、小さな音を立てて幾つも。
明日になったらまた旅に出よう。
重い足を踏み出そう、前を向いて進むために。
立ち止まると弱くなってしまう。心の隙間を他のもので埋めたくなんか無いんだ。
お前に会うことだけ考えよう。寂しさの隙間を埋める誘惑なんかに負けないように。
END